ナースコール

も く じ

入院生活
テレビカード
老化
閉じた世界
剃毛
手術
ナースコール
尿
よく晴れた日曜日
来院者
おひるね

願う
太陽が決めたこと
五月
海幸
山地を越える
制服姿
花の東京
バックミラー

南京への旅
上海へ
南京へ


一つの春
いいわけ
確信
後悔
冬眠
アミタケ
雨降り茸採り物語り

渓流釣りとオートバイ
三様の子どもの応援団として
小林茂喜さんの思い出
あとがき

入院生活

    テレビカード

初めて入院することになり
ニュースを見るために
テレビカードを買った
千円で千八百分
有料と思うと
いつもよりまじめに見た
気がつくと残千七百八十五分
自分の人生が一分ずつ減っていくのが
数字の変化で目に見える
おもしろくもあり
腹立たしくもあり

    老化

眼は蚊が三十匹ほど飛び
矯正視力もさっぱり出ない
医者は若いのにと不思議がる
その前から歯は次々に痛み
奥から順に抜いている
高い音はとっくに聴こえない
医者は老化ですとあっさり言った
人間ドックの担当医は
MRIの輪切り写真を見ながら
年の割に脳の萎縮が認められます

それほど気にすることはありませんが
年の割にとは老けているということか
気にするなと言われるほど気になる
物忘れは確かになり記憶力は使い切った
今回の入院と手術はきわめつけ
結石が傷つけた尿道がいつまでも痛み
医者は
繊維化しています
切り傷がきれいに治らずもりあがると同じ
前立腺の肥大もあるし
確かに老化が早いですね
と言うので
いかに老化が早いのか
以上得々と語った次第である

    閉じた世界

「食っちゃあ寝」という言葉があるが
実行したことはなかった
悪い印象を持つ言葉と思いきや
院内では良い患者の意味になる

社会で仕事を続けているうちは
多少の難はあっても健康体だが
入院すればすべての人は病人となる
病人は病院によって作られるのだ

同じように学校では
比べられ並べられ「できない子」が作られる
「どの子にも力をつける」と目標を掲げても
比べられれば「できない子」は抜け出せない

学校内では「できる子」と評価されても
卒業し社会生活に入ったあと
全く違う評価を受けることもあり
時々テレビの視聴率に貢献している

    剃毛

尿道から内視鏡を入れ
電気メスで前立腺を削り取る方法は
従来の開腹手術より優れ
出血など患者の負担も少ないという
それにしても陰毛を剃る必要はあり
女性看護師さんが剃毛してくれる
泡立てた石けんを塗り
カミソリで剃っていくのは
床屋でのヒゲ剃りと変わらない
違うのは場所のみだが
その場所が問題なのだ
茎や袋の裏まで丁寧に作業しながら
 ご本人にやっていただけると
 ありがたいんですけどね
それまで無言だった
三十代と思しき看護婦さんぽつり
お互いに楽しい作業ではないのだが
これも仕事と割り切るのだろう
来る者を拒むことのできないのは
教員も同じだと思い当たる

    手術

前日の夜から絶飲食で
朝から浣腸して手術を待つ
寝たままベッドが動きだす
廊下は何度も折れ曲り
流れる天井に酔いそうだ
エレベーターで降り
手術室のドアが開くと
白づくめのチームが待っていた
腰椎に麻酔の注射針を打ち込まれると
すぐに足が幻となって
やがて下半身全体が消える
頭がぼんやりするのは
点滴薬の効きめだろう

夢現の二、三十分と思ったが
一時間以上も経っていた
ひどい痛みと頻繁な尿意の中で
一個目の石が尿道を傷つけながら
鮮血とともに流れ出てから三月
まだ残って尿道を痛め続けた
大きすぎて流れなかったもう一つの石は
半分に砕かれてやっと
体外につまみ出されていった

    ナースコール

手術した日の夜は
身動きを止められ
背骨腰骨が痛む
体の向きを変えたい時は
枕元のスイッチを押すと
深夜でもすぐに
白衣の天使がやってくる
頼んだことは何でも
笑顔でかなえてくれる

身動きできぬ患者になった時
人は人として優しく扱われる
街に戻って人の流れに紛れると
困って助けを求めようにも
天使を呼ぶスイッチは
どこにもない

    尿

体から出たばかりの尿の熱さを
シビンに取って初めて知った

導尿管をつながれると
尿袋を提げて移動することになった
不便なようだが
小便に立つ必要はなく
便利な点もある

尿は絶えず作り出され
管を通って流れていく

苔から滴り落ちてくる
大河の源流が目に浮かんだ

    よく晴れた日曜日

高い建物の広い窓から
眼下の家々の壁面に
朝日が射しているのが見えた
家々のはるか彼方を
遠く山脈が囲んでいる
窓の正面だけ山脈が途切れ
おだやかな春の海が
水色に広がっている

こんなに明るい休日は
すぐに家を跳び出して
青空の下で一日過ごそう
ウドやスズコやミズブキなどの
山菜を採りに山に行こうか
なかなか行けない遠くまで
渓流をさかのぼりながら
ヤマメやイワナを日暮れまで釣ろうか
それとも旬のワカメを採りに
水澄む海に行ってみようか
夕食には真青なワカメを
酢の物とお汁にしよう

誰だってそんなことを考える
よく晴れた春の日曜日なのに
ここは十日目の病室で
私はまだ階段も歩けない

    来院者

病院には二種類の人が来る
元気がよすぎて骨を折ったりした人と
経年変化で部品が劣化した人と

後者の中にも程度の差があり
自分の近い将来の姿が
グラデーションになっている

    おひるね

ぼくが小学校に上がる前のことだ
通っていた保育園には
毎日おひるねの時間があった
初夏のけだるい午後
蝉時雨を聞きながら
ぼくたちは床の上に仰向き
タオルケットをお腹に乗せると
催眠術をかけられたように
みんな眠りに落ちていく
おひるねの時間が終わると
体に気持ちよいけだるさが残って
蝉の声が急に耳に入ってきた

今 病院のベッドの上で
半世紀ぶりに午睡すれば
還暦にはまだ何年もあるのに
知らぬまに子どもに返っていた

願う

速く走りたかったチーター
高い木に登りたかった猿
空を飛びたかった鳥
水中を泳ぎたかった魚
土中を進みたかったモグラ
吠えたかった犬
会話をしたかった人間

飛魚は泳ぐだけでは満足せず
空も飛びたいと願ったのだろう
何億年か願い続けたなら
人も飛べるのだろうか

太陽が決めたこと

地図はいつも北が上
それはあたりまえで疑いようがない
けれど景色を見る時は南が正面で
左が東 右が西となる

蜜蜂は8の字ダンスで
ひまわりは首を振って
太陽の方角を基準に動くが
人の行動する基準も太陽のはずだ

地図の方位を北が上と決めたのは
南半球の人だろうかと考えたが
ニュージーランドで買った世界地図は
みごとに南が上にひっくり返っていた

してみるとどうやら
地図を最初に描いた人は
いつもお天道様に背を向けて
はずかしそうに生きる人なのだろう

五月

遠く離れた山中の町を訪ねた帰り
途中下車した海辺で日差しを浴びていると
そのままからだが透明になり気化して
ふるさとに帰ることを忘れてしまいそうな
そんなあやうい年代に戻ってしまい
初めて見る風景の中で
初めて会う人たちとすれ違いながら
自分の体験したことのない人生を
送っていく姿を想像したりして
体温を奪われない気温の中では
上着だけでなく
身に着けているすべての時間と意識が
一枚ずつ一枚ずつ脱皮するように
次々とはがれ落ちていき
かろうじて残る視力さえも薄れながら
正しいものも
断定できるものも
何ひとつありはしないと気づくのは
五月の気温のせいだろうかと
潮風に吹かれながら

海幸

生命の生まれた海へ
生まれた時に近い裸体で潜れば
太古 動物の血液となった海水に
全身が濡れた人類の一人を
魚類 軟体動物 腔腸動物や環形動物が
緑藻類 紅藻類 褐藻類などの海藻の間から
見え隠れしながら迎えてくれる

サザエ カキ アワビ タコ
軟体動物をつかまえては食べる
太陽に照らされ 波に揺られ
カサゴ アイナメ キス アジなど
魚類を焼いて食べれば
もちろん塩味はちょうどいい

夕焼ける空の下で海が
火が赤く燃えている
肌にあたる風でわかる
マレー系海洋民として
温帯の日本列島にたどりついた
縄文人の血を引く一人だと

山地を越える

青々と樹の茂る山の中を
列車は曲りくねりながら走る
みごとに緑色になったものだ
たくさんの種類の草木が全て
深い緑色に輝いている
山脈の中を進むので
山々は近づいては姿を変え
山の後ろからまた山が現れる
山が切れ込んで谷になり
その谷間の渓流に沿って
時には山腹のトンネルに入って
列車はどんどん進む
窓からは日射しが入ったり遮られたり
せわしく明暗が切り換わる
梅雨の中休みの空には
薄雲があちこちに浮かんで
腕にあたる光はやわらかい
そうやって一時間ほどたつと
山はだんだん低くなり
ちがう名前の海が見えてくる

制服姿

化粧して列車の床に座る女子高校生たちは
やがて小中学生の親になるのだろう
それは私の意志に関係なく確かなこと

その小中学生たちもまた
やがて小中学生の親になるのだろう
親の意思に関係なく

ズボンをずらして下着を見せる男子高校生は
やがて小中学生の親になるのだろう
彼の親の意思に関係なく

その子どもの小中学生たちは
やがてどんな小中学生を育てるのだろう
または育てられないのだろう

花の東京

小さな地方都市にも小さな空港があり
異国のような首都東京までわずか一時間
モノレールは四分ごとに海底や空を貫いて
陽に光る川の護岸に沿って進む
川に魚の気配はなく
街路樹に鳥の姿はない
駅に停まるたび
人を飲み込んだり吐き出したり
終点の浜松町に向かう
道路には車がつながっている

東京の空は晴れ渡り
夕陽がまぶしく街を輝かす
さまざまな高さと形のビル群が
逆光にシルエットをくっきりと切り取る頃
多くは地方からやってきて
首都を行き交う人たちは
ぐずぐずと形がくずれて解けてゆき
顔も名もない男や女に変身する

バックミラー

秋 二人乗りして二輪車で走るなら
紅葉の山路がいい
さわやかな空気の中
やさしい日差しを受けて
道路の中央線の蛇行にあわせて
車体をゆっくりと左右に傾けるのは
揺れるブランコが楽しいのと同じ

前方にはこれから行く地
未来の風景が近づき
バックミラーを見ると
過去が高速で遠ざかっていく

運転者が前方を見て走りながら
時々バックミラーを確かめるように
人は時々過去の思い出にひたるが
それも必要なことなのだろう
前だけを見て生きていくのは危うい

南京への旅

  上海へ

飛行機の翼がゆらゆらしなる
たよりなげだがしなやかさこそ必要だ
急角度に加速していく
雲に飛びこんで視界は白一色
乱気流でさらに翼ゆらゆら
雲を突き抜けると
だんだんと濃くなりながら
頭上に青空が広がった
雲は綿のような確かな存在感
地平線のかなたはかすんで
雪の平原のようだ

二時間飛び続けてやっと大陸に
六十数年前も日本人は
たのまれもしないのに助けてやろうと
わざわざ海を越えて中国に行き
土足で他人の家に踏み込んだ
海が赤くなり長江の水の色
もうすぐ上海
今もあの時と同じく
南京への入り口

  南京へ

空港から続くハイウェイ片側五車線右側通行

市内まで車で一時間リニアカーはわずか八分

突っ走る車は一台三千万円全て金持ちのもの

陽に光る高層ビル群はみな新品やっと十年

虹色に輝くテレビ塔は四六八mアジア一高い

上海―南京二七〇キロ中国の感覚では近い街

ウルムチまでは列車で三泊四日中国は広い

運転手さんの勇気ある割り込みはまさに神業

高架橋から見る夜景は日本人にはまぶしすぎ

中国の人かとみれば聞こえてくるのは日本語

違うと思って見るから違う日本人と中国人

夏に涼しい木陰を作る街路樹は鈴掛の古木

南京は三国志の時代から都二千四百年の歴史

ここが侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館

積み重なる人骨子どものも女性のも動かない

核兵器に戦争抑止力があるなら
世界中の国々に核兵器を贈ろう
原発がほんとに安全なら
電力の要る大都市に造ろう

そうならないことで
核兵器の抑止力をとなえる人や
原発の安全を声高に言う人は
大うそつきだとわかる

銃が身を守るのに役立つなら
アメリカは一番安全な国のはず
でも事実は全く逆で
多くの人が銃で殺される

そんなことは誰だって知っているのに
核兵器も原発も銃もなくならず
推進する人たちの声ばかり大きいのは
庶民にとって謎

一つの春

一メートルの雪がなかったとしたら
この斜面は灌木と段差で通れない
今はなだらかな雪の上を
腰まで埋まりながらも歩いてゆける

渓流魚解禁の今日
一心に岸辺に向かう
足をとられて転ぶたび
全身雪にまみれながら

竿と仕掛を帯び
からの魚籠を提げて
一人だけで息をはずませ
心臓を早く打たせ

もし雪がなかったとしたら
川を離れ帰途に着く私は
空中を浮遊する飛天のように
一歩ずつ空の高みに昇っていくのだろう

いいわけ

渓流での釣りを知って以来
三月一日の解禁日を
毎年待ちわびたものだったが

仕事のつごうだの
春一番のせいだの
思いがけぬ大雪だの

口実を並べつくし
景色を見てくることにして
やっと支度を整えて十日目の川へ

腰まで雪に埋もれながらもまだ
水温が低すぎるだろう
餌も川虫でなく養殖ブドウ虫

確かに竿は出した
気がつけば何時間か経っていた
けれど本気で釣ったわけではない

やせた渓魚がそれでも数尾
来なくてもよかったのに
他に何もすることがなかったものだから

確信

雨後の適水量と予想した朝
木の葉一枚そよがぬ無風の中
型の良い渓魚の期待に導かれ
日が昇る山に向かう

県境の峠を越えればめざす川
景色まで緑濃く映え
期待はついに確信に変わる

石を抱えて川虫を採るのももどかしく
すばやく仕掛を整えて竿を伸ばし

ポイントに振り込んだ一投目に

後悔

一箇月も雨が降らず
川面では朝日が踊って
釣れるはずのない条件だった
ここという時のために用意した
トンボは使わなかったのに
長らくねらっていた大岩魚が
あっさりと釣れてしまった
拓を取りデータを記録した
記念すべき魚拓となった

腹を割くと殿様蛙を食っていた
幅広の魚体を刺身にして食べた
脂が抜けたばさばさの肉だった
岩魚と思えぬほどまずかった
釣れなければよかった

冬眠

海から遡上したサクラマスのための
太いミミズを捨てた
今日からはもう
釣りの餌は要らない

昨日は早朝川に向かい
本降りの夕方納竿
穏やかな心で引き返した
釣果はわずか四尾
アマゴ二十四センチにイワナ二十二センチ
あとは言うまい
不漁のシーズンが終わった

足が重く背骨の痛む今朝
誰にも何も言わず
一人脱力感にひたっている

渓流魚にとってみれば
昨日と今日に何の違いもない
釣人にとってのみ
九月末日と十月初日の間には
越えられない距離がある

禁漁初日の今日
心ざわめく雨模様
三月一日解禁の朝
気力に満ちて目を覚ますまで
五箇月間の冬眠に入る

アミタケ

秋風が吹き始めると
平日の朝だというのに
砂丘の松林は人だらけ
少し動けば人に出会う
多くは同年代の中年族

中には見知った人もいて
思いがけない同窓会
何が目当てか問わずとも
探しているのはみな同じ
人の数とどちらが多いのか
出ては取られる小さなきのこ
表は落葉と同じ色
裏は網目のスポンジ状
正式和名はほとんど知られず
いくちと言えばすぐ通じる
砂丘のきのこの人気者

豆腐を入れて味噌汁にするっちゅうと
紫色に変わってぬめりが出て
なめこよりうまいとしたもんです
そこにも小さいのが出とるでしょうが
わしは一時間ほどでこれだけですけど
慣れんとなかなかみつけれませんで
あんたもようけ取りたけりゃあ
もっと朝早う来られなあ

雨降り茸採り物語

ナメコ採りはいいもんだ
先を越されないよう早起きし
ブナ林の下をかき分けて
三、四時間も汗を流し
健康によいことこのうえなし
雨が降ってはいるけれど
おかげで誰も入っていない

大きく開いたナメコの株が
藪を透かして見えるたび
心臓は瞬時に反応し
思わず声をあげてしまう
帰りの荷物が重すぎて
罪悪感まで湧いてくる
明日の休日を待っている
多くの人にすまない気持ち

食べる時がもちろん最高潮
家族だけではもったいないので
友人を何人か招待し
いつもより大勢で鍋を囲めば
話はつんつん盛り上がる
だから毎週山通い
採る前 採る時 採ったあと
三度おいしいナメコ採り

天気予報では明日一日
降水確率百パーセント
質のよいナメコが育つためには
すばらしい天候になりそうだ
心地よく重い体を横たえて
考えながら眠る夢の中でも
やっぱりナメコは花盛り

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *