シリエトク-地の果てるところまで

 四行詩でつづるバイク野宿旅日記

シリエトク--地の果てるところまで

  一          (六月一日)

六月初日
いつもの服装でいつものバイクにまたがって
いつもの道を通って家を出たが
これは北海道への最初の一歩だ

  二

家から日本海に沿って北上し
明日は初めての佐渡にいるだろう
今日はどこまで走るのか
どこに野営するのかも決めていない

  三

九時 気温二十二度 晴れ
絶好のツーリング日和だ
本当に行くのか一か月の旅に
五十代後半の病持ちの体で

  四

学生時代の一人旅では
新潟 岩手まで北上した
三十五年後にまた
その旅の続きを始めている

  五

あの時の旅の目的は
「ここ」から遠くへ逃げることだったと思う
今回の目的地は北海道だが
こんどは何から逃げているのか

  六

帰ってこなければ旅ではない
軽い足どりで僕は引き返してきた
そう書いた友人がいた
自分に言い聞かせて旅を打ち切ったのだろう

  七

これから続く一か月の旅のスタートで
もう帰ってくることを考えているのは
あふれる思いと体力が
今の私に不足しているからだろうか

  八

このごろすたれたはずなのに
一九七〇年代のバイク乗りのように
大きく手を挙げてすれ違うライダーに
思わず手を挙げてあいさつを返していた

  九          (六月二日)

五百キロ走って友人宅に着き
語った翌朝の海岸通りでは
ウノハナ ハマヒルガオ
夏の海が静かに明けていた

  十

海岸の黒松林に沿って走った
信号すらないうれしい田舎道だつた
親不知まであと少し
急ぐ必要は何もない

  十一

ヒスイ海岸とはいい名前だ
波打際に行ってみると
引き潮に小石がカラカラと鳴っていた
ヒスイではないだろうが一つ拾った

  十二

道の駅市振の関には
遊女も萩もなかったが
曲がりくねった高い道路は
当時の親不知の難所をしのばせる

  十三

海岸線をトレースしながら北上すれば
空気も海の味がする
一度は行ったらいい所と人が言う
佐渡も行き残した宿題の島だ

  十四

次のフェリーの出航まで
四時間もあることがわかった
半日時間を潰すのは
人生の無駄遣いかどうか

  十五

大海原に隔てられた島の
影がだんだん大きくなってくる
流される者も見ただろう
不安と安堵の交じった気持ちで

  十六

海辺に寝ることにした
野宿旅でのテントの使い初めだ
薄暗い中で何とか張り終え
あの頃使ったシュラフにくるまる

  十七

寝酒にジンストをラッパ飲みする
そういえばジンストばかり
毎日飲んでいた夜が
三か月も続いた時があった

  十八

ジンに酔って過去に酔い
知らぬ間に時間が経っている
思いにふける夜もふける
夢で会える人もいるか

  十九

灯を消したとたん
急に波の音が聞こえてくる
子どもの頃と同じように
海の寝息が子守歌になる

  二〇         (六月三日)

波音正しく明けている
放哉も海が好きだった
朝凪の佐渡の海辺には
昨夜は気づかなかったハマナスの花がある

  二一

薬を飲んだり打ったり
朝食後はコーヒーを飲んだり
毎日少しずつ荷物は減っていく
けれどそれはゴミを出すことでもある

  二二

寂しいヒゲが伸びている
バックミラーを見ながら剃る
寝ぐせの髪もブラシでとく
ぜいたくな文明生活だ

  二三

インスタントの味噌汁を作り
これもインスタントだがコーヒーを飲み
一リットルの水が半分残る
あと一回分の心のゆとりも残る

  二四

テントをたたみ終える頃
とうとう雨が降りだした
人は雨が降らねば生きられない
合羽とゴム長を身につける

  二五

十八歳の一〇〇〇㏄は
いつも少々目覚めが悪い
ぐずるがチョークでぶるんと起きて
今日も一日共に生きることになる

  二六

初夏の雨に濡れて
キバナカンゾウと岩ユリが咲いている
たくさんたくさん群れている
ゆっくりゆっくり走っていく

  二七

絶壁の上の恐ろしい道路を通って
佐渡の最北端の岬に来た
夕陽が沈むのを見届け
明日の朝日を見ようとテントを張る

  二八

テント場はいくらでもある
島全体が自分の土地のようだ
どこで寝ようかとぜいたくに迷いながら
今夜は風の岬に決めた

  二九         (六月四日)

夜じゅう吹いた風でゆっくり寝られず
静かになってうとうとするともう朝だった
昨日までの梅雨空から一転し
青空に白い灯台が朝日を受けて光っている

  三〇

佐渡金山遺跡では働く人形が言っていた
酒も飲みてえ なじみの女にも会いてえなあ
最北端の弾埼灯台では
岬の灯台守の夫婦の像が朝陽を見ていた

  三一

夏の色した空の下海に小島が浮かび
岩ユリや松が生えている
島を一回りする海の景色は
見慣れているが見あきることはない

  三二

平日のうららかな午後
静かに吹く潮風を受けて
大海原を一人占めする幸福
これこそ人生と思う

  三三

あちこちに公園や東屋があって
水ももらえるしトイレにも困らない
温泉も不思議なほど多い
今夜もこの島に泊まろう

  三四

ほとんど車にも遭わない道で
天然温泉に立ち寄れば
広い湯舟を五百円で一人占めだ
もちろん窓の外の海の風景も全て

  三五

昨日乗れなかった尖閣湾に急ぎ
遊覧船の最終便にまにあった
八十人乗りに客は三人だけだ
もうけにはなるまいがおかげでよく見えた

  三六

渓谷に沿って続く細い道の辺に
タニウツギや朱い大きなヤマツツジ
その他名を知らぬ花々が咲き競い
ドンデン峠で海に突き出た小佐渡に息を飲む

  三七

最後の夜と決めて
テントは港の近くの公園に張った
初めて店で料理と地酒を頼み
二千円分のぜいたくをした

  三八

寝息のように静かな波の音がする
生家でも夏には同じ音を聞いた
こんなふうに眠るのは
四十年ぶりの気がする

  三九         (六月五日)

早朝さわやかに目覚めた
雨を覚悟しての野宿だったが
まぶしい太陽が海から昇り
旅立ちの日を祝ってくれた

  四〇

船が桟橋をゆっくりと離れた
ドンデン峠から見た通りの形の
小佐渡の東端に向かって進んでゆく
二度と来ないだろう佐渡が遠ざかる

  四一

大きな島影はいつまでも見えているが
海に近い先端から消え
だんだんと淡く空に溶けていく
船の前方には日本列島がだんだんくっきりと

  四二

雪の残る鳥海山に惹かれ
曲がりくねった山道を走った
雪もあり朱い山ツツジもあり
はるか下の海岸線は見覚えがないほど美しい

  四三

鳥海山の麓象潟に着くと夕方になっていた
テント場はたくさんみつけたが
天気予報は西施の雨百パーセントだ
芭蕉の導きか取った宿の名はねむの木だった

  四四

宿の天然温泉に行くと誰もいない
出るまで象潟温泉に一人だけだった
明日は雨の中
陸地になった九十九島を見よう

  四五         (六月六日)

うらむがごとき雨の象潟を展望すると
松を載せた九十九島が水田に浮かび
芭蕉が見た当時の風景をしのばせる
海中の島を想像すればかえって思いは深い

  四六

雨の中を走るのは平気だが
景色が見えずつまらないので
雨やどりついでにコインランドリーに入る
今日一杯目のコーヒーも飲めた

  四七

男鹿半島は雨雲の中だった
雲の切れ間からは時々
はるか下に断崖絶壁が見えた
絶景だが高すぎてこわかった

  四八

一日降られて今日も野宿は断念し
夕方六時には宿を探しにかかった
みつけた町営漁火の宿は新築の上
ぜいたくにも全館貸切りで二千五百円だった

  四九         (六月七日)

白神山地への林道は
昨夜の雨の名残でしっとりと潤って
渓流に沿って続いている
滴る緑のトンネルだった

  五〇

二ツ森登山道は霧だった
わずかに届く視界の中を
白神が見せる幻想のように
ブナの木立ちが見え隠れして迎えてくれた

  五一

林の中の小道を歩いていると
ギンリョウソウの一株がはにかんで下を向く
高い梢を風が渡っていく
なぜ私はここにいるのだろう

  五二

思えば旅をすることは
初めての体験をする中で
知らなかった自分に気づくことか
逃げるとともに求めることか

  五三

木々に囲まれて木の気を感じている
一本の草木にも命があるなら
いつも多くの命に囲まれて
かろうじて私は命をつないでいる

  五四

白神の森の中にいると
ブナやミズナラの大木が
私の何倍もの年月生きている
何百年もの間深く思索している

  五五

津軽三味線奏者高橋竹山の曲
「岩木山」を思い出しながら
岩木山一周道路を走っている
岩木山は形を変えながら常に左に見える

  五六

スカイラインはコーナーの連続だ
左右に交互にバイクを寝かしながら
標高千二百メートルまで登る
雪が残り冷たい風が吹き抜ける

  五七

竜泊から龍飛崎への峠越えは
経験したことのない濃霧だった
ヘッドライトを点けても視界がなく
竜が雲を呼んだかと思うばかりだった

  五八

たどり着いた龍飛崎は夕日の中だった
青森から北海道に渡るつもりだったが
どうしても朝日を見たくなって
風を避け建物の陰に早々とテントを張った

  五九         (六月八日)

トイレは寒冷地仕様で
二重ドアの上ヒーターもついている
初夏の今は寒くはないが
冬の厳しさは私の想像を越えるのだろう

  六〇

薄日の射す朝凪の海辺を
崎を背に走り出す
離れ難い思いが
スピードを落とさせる

  六一

一週間で千六百キロ走った
帰りつくまでに五、六千キロ走るのだろう
あと十年このバイクと旅をしたいが
それはぜいたくすぎる願いかもしれない

  六二

日曜日の朝なのに
漁村のおばちゃんたちが働いている
私はと言えばもっと若いのに
仕事を辞めて平日も遊んでいる

  六三

退職を決心するまで五年かかった
さまざまな理由が複合しているが
一番の理由は何なのだろう
一日二万円の稼ぎを捨ててまで

  六四

二万円で買う一日だから
それに見合う一日にしたい
今回の旅もそんな気持ちに
背中を押されて始まった

  六五

青函フェリーの運賃は
私が千五百円 バイクは四千円
私の食費は一日千五百円
バイクのガソリン代は一日二千円

  六六

ツーリング時の荷物は多い
テントやシュラフの野宿用がかさ高で
次に衣類なのは防寒用もあるからだ
もう一つのケースにはガスコンロや食料品

  六七

重要な物は全て身につける
財布 携帯電話 手帳 ペン スペアキー
インシュリンなどの薬と血糖測定用品
地図だけは燃料タンクの上に置く

  六八

バイクに乗ったままで取り出せるように
上着のポケットはチャックがついていて
四つともいっぱいだ
ズボンにはティッシュペーパーだけ

  六九

津軽海峡はよく晴れて
青函フェリーはゆっくりと動きだす
陸奥湾は広く左右の陸地はかすんで
どこが龍飛崎やら定かではない

  七〇

旅での食事は野菜を摂ってから
一つの弁当を夜と朝に分けて食べたり
酒の肴の鮭トバをタンパク質に計算したり
量と食品数の調節が難しく外食はできない

  七一

船は四時間かけて北海道に着く
高速艇もあるが高い
高速道路も使わない
速いことで失うものは多い

  七二

トンネルや長い橋もきらいだ
速くて無料だとしても
せっかくの景色は見えず
道端には花も山菜もない

  七三

車輪一回転ごとの距離を確かめながら
青森まで千七百キロを七日かけて
愚直に走ってきたその時初めて
北海道の遠さと着く喜びを体感している

  七四

船の中で横になると
手も足も重く疲れているのがわかる
それでも芭蕉には遠くおよばない
歩くだけの旅なら私は一日と持つまい

  七五

函館に着いた後初めての道の駅に
ペットボトルに入ってスズコの塩漬があった
五十本ばかりがわずか二百六十円とは
手間ひまを考えれば安すぎる

  七六

北海道を感じるのは
道路わきの大きなフキやイタドリの葉だ
ウドの大木まである
川にイワナがいるのはわかっている

  七七

函館から時計回りに進むことに決めた
松前半島を越すと海は西になり
夕日が海に映える大好きな条件だ
日が沈み江差の砂浜に寝ることにした

  七八

夕方から冷えてきたので温泉を探す
地図帳がきちんと役に立って
「みどりヶ丘の湯っこ」で温まる
今日はいい所で日が暮れた

  七九

夜は地酒を飲むことにしている
うまく名づけた高すぎないコップ酒を買う
肴はホタテや鮭トバやホッケや
干物だが家ではしないぜいたくだ

  八〇

店の人が薦めてくれるものはまちがいない
一番のお気に入りはスライスした鮭トバだ
棒状のでも薫製のでもなく一番安かったが
私はこれが一番好きという言葉は確かだった

  八一         (六月九日)

かもめの形の島ではかもめが朝を告げた
深い入り江になったこの浜は
不思議なほど波の音がしない
海の表面がわずかに揺れるだけ

  八二

江差は追分だけではなく
かつてのにぎわいを伝える
ニシン御殿も残っていた
戊辰戦争で沈んだ帆船海陽丸まである

  八三

ハマナスはどこにも咲いている
植えられたものが多いが
崖に野生のものも咲くという
道の駅のよく笑うおばちゃんが教えてくれた

  八四

フキも食べるという
五十センチもの葉のフキなら
一本でも十分だろうが
旅のおいらにゃアク抜きがままならぬ

  八五

道内では日中の気温は十八度あるが
風を切って走ると体温が奪われていく
朝方の冷え込みでは冬の衣装が必要だ
防寒はあと合羽と毛糸のベストしかない

  八六

切り立った断崖が続く
海中にそそり立つ奇岩も多い
夫婦岩などいくつあることか
たぬきや熊など動物の名のついた岩も多い

  八七

漁師の直売店で初めて昼食を注文した
でっかい活ホタテを焼いてもらって
ごはんに海鮮汁をつけて
薫製ニシンまでもらって四百五十円だった

  八八

空が青いので
海は深い色をしている
波が寄せたり凪いだり
色も変えながら左にある

  八九

地球が丸い水の惑星だと
長い直線道路ではよくわかる
海も空も幸せの鳥の色
生きている幸せを感じている

  九〇

手前の岬の後ろには
別の岬がうっすら見える
一つの岬を過ぎたあとは
次の岬が必ず現れる

  九一

海は青く揺れている
海の中にはホタテやウニや
たくさんの生き物が暮らしている
海はきれいに澄んでいる

  九二

陸の上には生き物が少ない
けれど北の海の中には
陸上の何万倍もの生物が
ひしめきあって生きている

  九三

北上を続ける午後は
太陽を背に受けて暖かい
海も山も順光に照らされて
くっきり鮮やかに見えている

  九四

道路が高いほど
水平線も高くなる
海はますます広くなって
地表をほとんど覆ってしまう

  九五

ニセコの道は白樺林の中に続いている
風格のある枝ぶりの古木も多い
青空に映える白い幹は
ブナを見慣れた目に新鮮だ

  九六

羊蹄山の偉容に圧倒された
どこから見ても同じ形の山は
そそり立つ岩山の頂上近くから
何本もの雪渓が中腹まで伸びている

  九七

今夜はテント場探しに手間どり
張り終えると九時だった
外海の護岸で波の音が高いけれど
寝るにはちっとも気にならない

  九八         (六月十日)

名前に惹かれて神威岬に寄ってみると
台風どころか経験したことのない強風で
停めようとしてバイクを倒してしまった
人に助けてもらってやっと起こせた

  九九

少しだけでも景色を見たいと
展望台に登ってみたが
目が開けられず息もできない
風神の威力を思い知った

  一〇〇

積丹半島ではBMW R一〇〇RSが二台
古いけれどきれいな車体を保っていた
三台分ほど金をかけているということだ
私も七十歳まで現役ライダーでいたい

  一〇一

十代からバイクに乗っているが
五十代には五十代の乗り方があるだろう
夕方になってから寝る所を考える
野宿の一人旅は同じだとしても

  一〇二

左に海を見ながら何日も走っていると
既視感を覚える場所がある
場所ばかりでなくできごとや人の顔や
脳のニューロンがどこかで混線するのだ

  一〇三

ニッカのウイスキー工場を見学した
高校時分から好きだったホワイトニッカが
二十年以上前に製造中止になっていた
知っていれば去年みつけた時買ったのに

  一〇四

小樽・石狩辺りは道路が海から離れ
何もない直線道路になった
つまらないけど走り続けた
飛ばし屋は北海道を満喫するのだろう

  一〇五

波の音に重なる窓を打つ雨を聞いている
夕方になって降られ訪ねた民家で
今は使わない海の家に泊めてくれた
この運の強さは自分でも不思議だ

  一〇六       (六月十一日)

爽快な朝を迎えた
全面のガラス窓から海が見える
朝日を受けた白波が次々と
まっすぐこちらに打ち寄せてくる

  一〇七

朝食後熱いコーヒーを飲む
昨夜の雨はどこかに行って快晴だ
青い海が広々と一八十度以上見え
海岸通りのしゃれた喫茶店以上だ

  一〇八

黄金山はまるで北斎の富士のようだ
浜益の無料の海の家とともに
北海道の思い出のベスト三に入るだろう
海辺の道を外れて近くまで行ってみた

  一〇九

留萌に近づく頃から霧で見通しが悪い
冷え込んできたこともあり洗濯をする
何度も尋ねて留萌の街でランドリーをみつけ
待つ間にお昼をすませ百均にも行けた

  一一〇

多くのバイクとすれ違う
ほとんどライダー用の服装だ
私のような普段着のライダーはめずらしい
高速に乗らないなどこれが私流

  一一一

何十キロも海沿いの道が続く
時々ゆるいカーブはあるが
ほとんど直線の道路だ
北海道の大きさを実感する

  一一二

シフトアップはノークラッチが多くなる
ロングツーリングではだんだん腕が重くなり
クラッチを切るのがつらくなるのだ
シフトダウンはしかたなくクラッチを使う

  一一三

北上するにつれ気温が下がってきた
十二、三度だが体感温度は一桁だ
三枚の上着のさらに上に
防寒のための合羽を着こむ

  一一四

道路は八十キロで流れている
所々あるゆるいカーブをリーンウィズで
海岸線をトレースしていく
できれば稚内野寒布岬まで走りたい

  一一五

稚内への海岸道路はきっと一生忘れない
電柱もガードレールもない道が
渚に沿って地平線までまっすぐに伸びている
海の上には利尻山がせり上がっている

  一一六

利尻富士の上に夕日が掛かって
海の上を光の道が利尻島まで続いている
スピードを落としてゆっくり走った
少しでも長く景色に浸っていたかった

  一一七

稚内公園にたどり着いて
初めてキャンプ場に寝ることにした
横浜からのライダーの横にテントを張って
バイク旅行の話で十時を回った

  一一八       (六月十二日)

朝の気温は十度以上ある
曇ったおかげで冷え込まなかった
降られずにすんだのもありがたい
利尻富士を見に行くことにする

  一一九

利尻へのフェリーはすし詰めだった
平日にこれだけの観光客が行くとは驚いた
バイクは運賃が高すぎるので
フェリー埠頭に置いてきた

  一二〇

利尻島が近づいてくる
順光でくっきりと万年雪が見える
レンタバイクか観光バスか
決める情報が着くまでない

  一二一

多くの団体観光客との同乗は違和感がある
この人たちの目的と私の目的は違いすぎる
それがおそらくは違和感の原因だろう
十年後には私も団体観光客の一人としても

  一二二

「団体」「観光」客は仲間と談笑しながら
多くは楽しそうにまたは疲れて目を閉じ
少し横柄に無遠慮にまた排他的に見える
私は彼らにどのように映っているのだろう

  一二三

生きることが深く考えることでありたい
考え深くしかも行動が伴うようでありたい
行動的でありながら思索がにじみ出る
確かにそんな人を何人も知っている

  一二四

姫沼はエゾマツとトドマツに囲まれている
ウドやタラノメやスズコが目に入る
それにしても電車ごっこのようにつながって
沼を一周するのにはまいった

  一二五

利尻を時計回りに海に沿って一周する
海水が澄み切っている
波は穏やかだ
北海道も礼文もよく見える

  一二六

フェリーと観光バスが接続していて
利尻を午後出発し礼文に向かった
礼文でもまた観光バスに乗った
レンタバイクは高いし説明もほしいからだ

  一二七

礼文からも利尻がよく見える
もちろん海側の席に座った
八重桜は今が盛り
エゾカンゾウは咲き始めたところだ

  一二八

海中の岩には利尻昆布がびっしりだ
漁の解禁は七月の予定という
ウニも昆布を食べているから
とりわけおいしいのだそうだ

  一二九

礼文島を北上していくと
木のないチシマザサの丘が続く
ニュージーランドを思い出す
トマリはアイヌ語で入り江のことと聞く

  一三〇

レブンアツモリソウの群生地は公開最終日だ
チシマフウロは青紫 ハクサンチドリは赤紫
レブンシオガマはピンクの花茎
知らない花がほとんどだ

  一三一

北端スコトン岬の海は明るい色をしている
ゴマフアザラシがごろごろと昼寝時々食事中
トドは撃たれて缶詰で売られている
トド島の先からロシア領だという

  一三二

今夜は帰ってこられない覚悟で出ていった
張ったままのテントに帰ってきた
仮りの住まいだが我が家に帰った気分だ
テントに連泊するのはいい

  一三三       (六月十三日)

寒い 血糖測定器が低温警告を出している
防寒肌着とズボン下にジャージを重ね着する
空は曇って風も出て雨が来そうな気配だ
急いで朝食を摂ってテントを片づけよう

  一三四

景色が見えないので北方記念館に行ってみた
館長さんがコーヒーをふるまってくれた
展望台は高すぎてこわかった
霧の切れ間に街と宗谷海峡が見えた

  一三五

日本最北端宗谷岬に着いた
初めて土産を買い送ることにした
送料は箱一杯千五百円だ
この遠い距離を考えれば安いものだ

  一三六

宗谷岬を出た頃から霧雨が降りだした
空も海もくすんだ色になった
風が強く気温も低い
止まっても風雨はしのげないので走り続ける

  一三七

道の駅をみつけて止まる
することがなくアイスクリームを食べてみる
少し停めただけでエンジンは冷えている
チョークを引いて小雨の中をまた走り出す

  一三八

エンジンはずっと調子良く回っている
ほぼ三千キロ走る間不安は一度も感じない
ただガス欠にだけは気をつけている
信号の少ない道で知らぬ間に距離が伸びる

  一三九

オホーツク海を南下中の気温は十度以下だ
百二十キロ先ライダーの宿の看板を発見し
寒さに耐え距離をカウントダウンして二時間
ライダーハウスの管理人は不在だった

  一四〇

待つこと二時間 親父さんはストーブを着け
焼酒の牛乳割りでもてなしてくれる
楽しい思いをするかいやなことを忘れるか
旅の目的はどちらかだと口火を切る

  一四一

五時間もしゃべり続けて日付けが変わり
親父さんも千鳥足で帰っていった
鳥取でライダーハウスを開くか
酔った頭はもうまともに働かない

  一四二       (六月十四日)

目覚めると八時半だ
昨夜の牛乳割りが効いたようだ
血糖測定器は今朝も低温警告を出し
しかも雨は降り続いている

  一四三

家からきっかり三千キロのライダーハウスで
昼までぐずぐず考えた末連泊を決めた
天気予報は一日中雨 最高気温十度だ
服を着込んでも手はかじかむ

  一四四

初めてテレビをつけ岩手宮城の地震を知る
帰途は太平洋岸を南下する予定だったが
道路が不通ではないかと気になる
鳴子の知人宅を訪ねることはあきらめる

  一四五       (六月十五日)

紋別港では多くの釣り人が竿を並べ
コマイやカレイがたくさん釣れていた
昨日も宿の息子が百匹ほど釣ってきた
煮付けと塩焼きでカレイを三匹も頂いた

  一四六

サロマ湖のどまん中の岬に向かう途中
キタキツネが三度も道路に跳び出した
ちょっと驚くくらいですんだが
鹿だとバイクも壊れ重症を負う人もいる

  一四七

久しぶりの青空で気持ちがいい
二日間雨で昨日は走らなかったから
エンジンもうれしいかのように静かに回り
風を切る音しか聞こえない

  一四八

大きな湖はさざ波も見せず
平らに広がっている
この岬は朝日が美しいという
夕暮れ時なら泊まっただろう

  一四九

冬には流氷の寄る網走の海は
晴れていても風が冷たい
番外地の映画の主題歌を思い出す
ハマナスの花言葉は旅行の楽しみだというが

  一五〇

知床半島にさしかかる時は夕方で
左にオホーツク海と夕日を見ながら走る
至福の時間だ
昨日一日天候の回復を待った価値があった

  一五一

岬の上にとがった山が見える
羅臼岳だろうか
知床峠を越えた羅臼の町に
今夜は泊まろうと思って走る

  一五二

オシンコシンの滝は水量豊かだった
荒い岩肌を水が幅広く勢いよく流れ落ちる
夕日を受けて白くまぶしく光っている
いい条件での出会いがありがたい

  一五三

知床峠にさしかかると
ヒグマ生息注意の立て札と
実物の鹿に何度も出会う
世界自然遺産知床は白樺が美しい

  一五四

鹿が目の前に跳び出し急ブレーキをかける
うまく停まると左後ろに視線を感じる
夕日を浴びた羅臼岳が私を見下ろしていた
動物たちの領域に入り込んだゆるしを請う

  一五五

ライダーハウスの主人の案内で
無料天然温泉「熊の湯」に入る
九十二度の源泉は水を入れても我慢大会だ
前の川からはオショロコマが釣れるそうだ

  一五六

家を出て十五日になる
旅も半分終わった
今日は「父の日」だ
自分で祝いの一人旅を続ける

  一五七       (六月十六日)

歯が浮いて朝食が摂りづらい
歯周病を三週間ほったらかしたから
当然のむくいかも知れない
天気もぐずつくので歯医者を探す

  一五八

治療が難しいらしく
とうとう抜くことにした
奥から順に今年二本目だ
入れ歯も考えるほうがよいそうだ

  一五九

知床半島を先端に向かって進むと
緑色に輝くヒカリゴケの洞窟や
満潮時は海中に沈む露天風呂や
めずらしいものを見せてもらった

  一六〇

行き止まりの「熊の宿」に入って聞くと
ライダーハウスは三年前に廃業したという
泊まりたかったので残念だった
どのハウスもライダーが減ったと淋しげだ

  一六一

最後の町にも海岸に無料の露天風呂があった
元は小屋があり男女別だったと
入浴中の二人が湯舟の仕切りを示してくれた
今朝は近くにヒグマが出たらしい

  一六二

海を見ながら昼食にした
鎮痛剤がよく効いてありがたい
背後の急峻な山に霧が流れ
かすんで見えなくなるあたりの緑が美しい

  一六三

血の味のするパンをかじっていると
鹿の親子が通りがかった
親鹿が気づいて私を見
びっくりした様子で急ぎ足で去っていった

  一六四

天気が良くなってきたので
もう一度知床峠を越してみた
今日の羅臼岳は青空にくっきりとそびえ
白樺の若葉も目にすがすがしい

  一六五

知床五湖は一湖と二湖だけ見た
二湖から先は立入禁止になっていた
ヒグマが水芭蕉の根を食べた跡がある
二湖の表面は山脈が時々風に崩れて映る

  一六六

湖の散策中に血糖値が低いのを自覚する
運動をしない分カロリーを落としているので
動いたとたんにこれだ
ちょうどあった売店の試食品でしのぐ

  一六七

三度目の知床峠で初めて気づいた
海の向こうに国後島が見えるのだ
知床旅情の歌詞とは違い女っ気はないが
すっかり気に入った知床峠に別れを告げた

  一六八

羅臼を過ぎて南下しようとすると
また霧で景色が見えなくなる
知床半島の景色を全て見たいと
昨日の宿まで引き返した

  一六九       (六月十七日)

朝はまた霧で室温は十二度と低い
霧が晴れることを願って洗濯して待つ
待つ間にバイクの汚れをふいてやる
水がないのであまりきれいにならない

  一七〇

いつでもできるわけではないので
チャンスがあれば携帯電話に充電する
資料館 道の駅 コインランドリー……
普段は電源を切るが宿では電話もできる

  一七一

根室海峡を南下する昼前は
よく晴れてずっと国後島が見えている
弧を描く知床半島も見える
人家も車も少ないので時々止まって見る

  一七二

野付湾は日本最大の砂嘴に囲まれている
野付半島の道は両側が海で
やはり左に十六キロ先の国後が見える
海の中に細い一本の光の道が続いている

  一七三

晴れてはいるが気温十二度の直線道路で
電光掲示板に気をとられ
めったにない赤信号をひとつ見落とした
何度目かのヒヤリハットだ

  一七四

本土最東端の納沙布岬は
風が強く雲も低くたれこめ寒々としている
まさに最果ての地の雰囲気だ
テント泊はとても無理とあきらめる

  一七五

今日の宿は不思議なシステムで
店で千五百円以上飲食すれば泊無料だ
もうけが半分としても
宿泊施設の維持費が出るのだろうか

  一七六

今日はテントに寝たかった
これで五日連続宿泊まりだ
野宿旅のつもりが今夜も屋根の下に寝る
七泊で一万四千百円の出費だ

  一七七

外はまた霧雨が降っている
日中は晴れても朝晩は霧が出る
そんな日が何日も続いている
明日はどこまで行けるだろうか

  一七八

旅で出会う人の中にはおもしろい人が多い
自転車で日本七周世界三周した人や
もう三年間夫婦で旅を続けている人や
ライダーも個性的な人が多いと再認識した

  一七九       (六月十八日)

計画があって先を急ぐライダーが普通だ
私が朝食を摂る七時には誰もいない
今朝も霧雨で景色は見えず
先に進むかどうか思案するのも無計画だから

  一八〇

花咲灯台は大音量で霧笛を鳴らしていた
強風の中に大小の車石が散在していた
ここもまた最果ての地の一つ
広い海と断崖がせめぎあう世界だ

  一八一

花咲港で蟹の店に入った
浜ゆで花咲蟹は味が濃かった
味見した残りは包んでもらった
霧のおかげの寄り道でいい思い出ができた

  一八二

霧多布岬はもちろんみごとな霧が
灯台に向かう砂利道の上を飛んでいる
空では風が吠えている
何百メートルも直下に風裏の静かな海がある

  一八三

一日中霧の中を走っているので
厚岸で停まり炭火焼きを食べる
活きたホタテにカキにホッキ貝
これまた全部安くてうまかった

  一八四

良いと聞いていた無料キャンプ場に着き
まだ五時だが泊まることに決めた
温泉は加水も加温もしない源泉掛け流しで
しかも澄んだウイスキーの色だ

  一八五

天気が安定し久しぶりの鶴居村テント泊は
キャンプする人も多く気さくな話がはずみ
快適で何日も居ついている人がいるようだ
時間があえば明日も来て泊まりたくなる

  一八六

モンゴルでは家は大きなテントだそうだが
確かにテントは持ち運べる家だ
わずか零コンマ数ミリの厚さしかなくとも
雨に濡れず暖かくプライバシーも守られる

  一八七

霧が降ってくる
細かな霧が木の葉に滴を作って
テントのフライシートに落ちてくる
星空の下静かな夜の雨の音の中で眠る

  一八八       (六月十九日)

テントに朝日が当たって明るく暖かい
何日も朝夕は霧が続いていたのに
今日もいい日になりそうな
一人だけの五十七歳の誕生日だ

  一八九

今日の空はすっきりと晴れ渡り
摩周湖は澄んだ深い紺色をしている
湖の周囲の白樺の白い幹と
若葉の緑も陽光に輝くばかりに鮮やかだ

  一九〇

かつて透明度世界一のカルデラ湖は
高い崖に守られて風も届かないのか
水面にはさざ波も立てず
静まり返って黙って山脈と空を映している

  一九一

屈斜路湖畔にアイヌの村コタンがあった
日本の先住民族アイヌについて学ぶことも
北海道での目的の一つだ
民家チセとアイヌ民族資料館を観た

  一九二

家の中心に囲炉裏があった
木を燃して鮭を干し煮たきをする
幼い頃の故郷と同じだ
アイヌに対して和人が行ったことを思う

  一九三

阿寒湖畔源泉掛け流しのまりも湯は
まりものようにこころもまあるくなってね
湯舟の上に書いてあるのを見ながら貸切りだ
木で作ったいろんな大きさのまりもがある

  一九四

今夜のハウスはコタンの最も端にある
五百円で晩御飯まで出してくれて
朝めしも食っていけと言う
客は私一人だけだ

  一九五

チセの持ち主のおばさんに教えてもらう
アイヌの生活 住居 祭り 差別……
記念におばさんが刺繍した鉢巻きを買う
マタンプシは女性が男性に贈る魔除けの品だ

  一九六

学生時代の長髪の頃
バイク野宿旅で新潟を通った時
アイヌの兄貴にお前アイヌだろうと言われた
チロリアンテープで鉢巻をしていたからか

  一九七

夜はアイヌの伝統の踊りを観た
イヨマンテの踊りには参加して踊った
資料館やコタンのお店やまりもや
明日もここらで過ごそうと思う

  一九八

価値の高い誕生日となった
五十七歳は人によってはまだ若い
私はそうだな七十くらいまでかな
あと十数年 バイクで旅をしたい

  一九九

今日は旅に出て十九日目
走行距離は四千キロを越えた
北海道もあと一週間となった
まだたくさんわくわくすることがあるだろう

  二〇〇       (六月二十日)

朝には雨も上がり薦めに従って
スキー場展望台で雄阿寒岳と阿寒湖を見た
今日はゆっくり阿寒湖畔で過ごそう
天気がよければキャンプをするか

  二〇一

まりもを見るため遊覧船に乗った
まりもはたくさん群れていた
まるで動物の群れのように
自分たちの意志で積み重なっていた

  二〇二

船は入り江の中に進んでいく
人の手の入らない自然のままの風景が続く
思えばアイヌの人たちは昔からずっと
自然を大切にして生きてきたことを思う

  二〇三

コタンの店めぐりを始めた最初の店で
アイヌの若い衆と話が始まって二時間半
阿寒のアイヌや儀式や新法のことなど
じっくり学ぶ機会にめぐり会えた

  二〇四

アイヌ古式舞踊は二晩続けて観た
鶴の舞やムックリの演奏や
知ってはいたけど現地の本物は格別だった
ユーカラを聴きそびれたのはとり返せない

  二〇五       (六月二一日)

オンネトーに初めて行った時は涙が出たよ
店のおばさんの言葉にさそわれ行ってみた
観光ガイドより現地の人の言葉の方が重い
池は澄み切ってサンゴ礁の海を思わせた

  二〇六

浅い所は透明で遠くなるほど青くなる
さざ波の寄せる水際を奥に進んでも
青かったはずの所はやっぱり透明で
青い色は幸せの鳥のように追うと逃げていく

  二〇七

湯の滝への山路は静寂の原生林の中を続く
苔むした地面にエゾマツの大木が目立つ
緑色の茎の食用ラワン蕗の群生もある
別世界に迷い込んだような気持ちになる

  二〇八

湯の滝は幾本もの細い流れが
苔むした岩を黒い色に染めて流れていた
ここはただの湯の流れる滝ではなかった
微生物がマンガン鉱床を作る世界唯一の所だ

  二〇九

オンネトーのほとりでヒラタケをみつけた
お昼のお汁にしようと半分ほどむしる
地面でホコリタケの仲間もみつけた
これも一緒に食べてしまおうと採る

  二一〇

また雨だ 手袋も濡れて冷たい
昼には少し早いが道の駅に停まり
ヒラタケとホコリタケの具だくさんのお汁で
普段より豪華な昼食だが四百五十カロリーだ

  二一一

せっかくの景色を見たいので
計画を変更してライダーハウス泊を決めた
ずっと雨が降り続いているけれど
エンジンは快調で心は晴れている

  二一二

今日の宿は屈足町営無料のライダーハウスだ
隣にバーベキューハウスがあって
夕食にジンギスカンの差し入れをもらったり
同宿に沖縄の人もいたりもう最高

  二一三

二十日ほど前なぜ旅に出たのだったか
今ではすっかり思い出せない
金さえ続けば旅を住みかにしたいと
女は思わないだろうと思う

  二一四

旅に酔う と言うべきだろうか
半年でも一年でも十年でも一生でも
このまま旅を続けたいと思う人は多い
野宿旅は危なくてよけいに惹かれるのか

  二一五       (六月二二日)

気温が低く一日雨の予報だ
小屋の外で大きなエゾリスが遊んでいる
朝食を摂りながらいろいろと思案して
大雪山をやめて南下し日高平取に向かう

  二一六

日高産やまべ入りの文字にさそわれて
「やまべ天そば」を昼食に奮発する
やまめ二匹にウド タラノメ マイタケ入り
ウドはまさしく天然の風味だった

  二一七

平取のアイヌ博物館でユカラのビデオを観た
英雄ポンヤウンペの長い長い叙事詩だ
ユカラは歌われるものだと初めて知った
ウウェペケレという昔話も楽しかった

  二一八

博物館前はキャンプしていいと言われたのに
閉館までねばって出るとまた雨が降っている
ライダーハウスに向かう途中で考え直し
アイヌの英雄シャクシャイン像をめざした

  二一九

何度も迷った末シャクシャインには会えたが
彼の記念館と民俗資料館は翌日が休館日だ
丸一日待つわけにもゆかないので
せめてと資料館のひさしの下に野営する

  二二〇

家を出て三週間で四千五百キロ走っている
積算距離計は今日六万キロを越えた
先の読めない旅だけど毎日充実している
元々人生の先は読めない

  二二一       (六月二三日)

早朝さまざまな小鳥の声で目が覚めた
公園は朝霧に包まれて静まっている
アイヌ植物園の中を散歩する
旅のおかげで白い夜明けの景色に出会えた

  二二二

テントの設営撤収も慣れてきた
シュラフやマットも小さく収納できる
初めの頃は眼鏡やブルーシートまで
気づかずテントとたたんだこともあった

  二二三

アイヌ語でマウはハマナス タは実
ここ真歌公園はハマナスの実を採る所の意だ
薄日は射すがまだ霧に濡れた植物と別れ
エンゼルフィッシュの腹びれ襟裳岬に向かう

  二二四

襟裳岬への道は渚に沿って続き
やさしい印象の海だった
三週間ぶりに海を右にして走る
晴れてきたので合羽を脱ぐとさわやかだ

  二二五

岬に近づくにつれて特有の強風が吹き始めた
神威岬で横倒しにされたことが頭を離れず
店の風裏を選び風上に向けて慎重に駐車した
襟裳岬の歌詞にひたる気分ではなかった

  二二六

海は大荒れで恐ろしいくらいだった
沖のほうまで白波が踊っていた
風洞実験をされているような強風にあおられ
止まることもできず襟裳岬から逃走した

  二二七

空模様が怪しくなり
強風のため体感温度がどんどん下がる
上下とも重ね着してやっと人心地がついた
帰りは山側の道を通ろう

  二二八

一万五千キロぶりのオイル交換をすませ
シャクシャイン像の方に引き返すが
夕暮れの迫る中で道に迷い
やっと着いたキャンプ場は閉鎖中だった

  二二九

今夜の野営はこれまでで一番スリリングだ
雨になるかもしれないのを承知で
しかたなく小屋の風裏にテントを張ったが
既に暗くなっていて波の音も高い

  二三〇

たくさん人のいるライダーハウスもいいが
誰もいないライダーハウスも味がある
多くのテントがあるキャンプ場も楽しいが
今夜のような一人だけの野営は格別だ

  二三一

さびしくていい 寒くてもいい
不自由でいい 困り果てるのもいい
これまでしたことのない経験をする
それを望んでの野宿一人旅だから

  二三二

何の不自由も恐怖もない生活
それは生物の本来の生活ではないだろう
人も厳しい自然の中で生き抜いたのだから
たくましさを身につけているはずだ

  二三三       (六月二四日)

雨の中テントを撤収しツーリングを強行した
手袋の上にビニール袋を着けて守るが
袋が滑りアクセルの固定に右手が疲れる
二時間も走るとどこからか雨がしみてくる

  二三四

襟裳岬に近づくと風をほとんど感じない
風はあるのだが時速七十キロの追い風だ
地元の人の言葉でもう一度やってきた
風の館に入りアザラシと風に会うためだ

  二三五

風雨の海に入って昆布を拾う人たちがいる
こうやって暮らしを立ててきたのだろう
風の館を見学して初めて
襟裳は風と霧の地と知った

  二三六

百人浜の名の由来を尋ねると
遭難して打ち上げられた人の数だという
元は女人禁制の神威岬もそうだったように
襟裳岬の北側は船の難所なのだ

  二三七

岬を下るまではまた恐ろしい強風だった
風には強いはずのバイクだが
急な横風を受けて道路の端まで飛ばされる
止まれば倒されるのがわかっているので走る

  二三八

岬を下ると静かでやさしい海になった
風はそよそよと吹いている
ツーリングはこんなに楽しかったろうか
襟裳岬が北風を防いでいるのだろう

  二三九

雨の中を走り続けて五時間たった
合羽から雨がしみて上下とも肌着まで濡れた
シャクシャイン記念館と資料館で三時間話し
夫婦の館長は受けた差別を答えてくれた

  二四〇

雨の中のライダーハウスに管理人がいない
晩飯を食べて温泉に入って戻ってみたら
どうやらすれ違いでまた出ていったらしい
しかたなく寝酒を飲みつつ待つ

  二四一

十時まで待っても帰って来ずしかたなく
ハウスの入口にシュラフで寝ようと思う
雨は降り続いているので濡れる覚悟だ
それでも風がないのはありがたい

  二四二

雨の中で寝ていたら
十一時になってやっと管理人が帰ってきた
新冠のこのライダーハウスはおもしろい
五つの個室つきの列車一両ブルートレイン

  二四三

雨はいやだが雨のおかげでここに来た
人生万事塞翁が馬 あざなえる縄のごとし
五百円でテレビつき個室つきを貸切りだ
連泊したくなった

  二四四       (六月二五日)

二風谷の萱野茂資料館と博物館を再訪した
じっくりと学費や事業の支援のことを聞く
ウタリ協会の役員さんが偶然来られていて
じかに質問することもできて満足した

  二四五

晴れて初夏の気温の中を白老に向かう
逃げ水が地平線まで続いている
やっぱり走るのは楽しい
空気も汚れていないのがうれしい

  二四六

白老のポロトコタンに入るとすぐ
私のマタンプシ姿にきれいねの声がかかる
そのおばさんにユカラが聴けるか尋ねると
前の店の人を紹介してくれた

  二四七

ユカラの歌えるアイヌは今はもういない
どこのコタンでも博物館でもそう聞いたのに
ユカラを歌える人がいたことに驚いた
その人にばったり出会えたのは奇跡的だ

  二四八

話し込んで閉館の時間になり
明日また来て話の続きを聞くことにした
運良くキャンプ場も温泉も近い
スーパーまであって割引の食品を買った

  二四九

今夜のキャンプ場も広すぎるのに貸切りだ
でも四百円も払わなくても
テントを張るのにもっといい所はあった
湖のほとりの東屋だとか

  二五〇

誰もいない森林公園で一人眠る
熊はいないだろうがいたっていい
交通事故で命を落とすのに比べれば
熊に襲われて死ぬ確率は千分の一か

  二五一

スズメバチの恐ろしさならよく知っている
ツキノワグマはちっとも怖くない
人間に気づくとあわてて逃げていく
しかし腹のへったヒグマは体験していない

  二五二

熊より蛇より蜂より怖いのは人間だ
人間ほど他の人間を殺すものはいない
過失だけでなく故意にも
アメリカのやってきたことはその見本だ

  二五三

熊に襲われて死んだ人が何人いるだろう
交通事故で死んだ人が何人いるだろう
自死せざるを得なかった人は何人いるだろう
アメリカの銃や兵器で殺された人は

  二五四       (六月二六日)

キャンプ場の朝は小鳥の声しかしない
管理人も誰もいないから人のたてる音がない
ふと森のカムイたちの気配を感じる
蕗の下にはコロポックルがいるようだ

  二五五

ポロトコタンの古式舞踊はチセであった
囲炉裏で木を燃す煙の香が昔を呼び起こす
鮭の干物が薫製になってぶらさがっている
大切な保存食を私も酒の肴に頂いている

  二五六

昼食はアイヌ食の鮭と野菜のお汁定食にした
野菜のおひたしときび入りおにぎり
お汁のオハウがおいしくてもう一度食べたい
夕方はおひたしがギョウジャニンニクらしい

  二五七

今日三度目の古式舞踊を観に行くと
観客はほぼ全員が中国台湾と韓国の人で
口上を述べる人は何と三言語で説明する
英語もだろうし何か国語を話せるのだろう

  二五八

夕食には早いがもう一度オハウを食べるため
博物館内のアイヌ食の屋台に行った
昆布と五種の野菜と鮭の入ったオハウ定食は
ギョウジャニンニクのおひたしがついていた

  二五九

ユカラを歌いアイヌの話をしてくれた店で
お礼にアイヌ模様のバンダナを買った
えんじゅの木のふくろうも記念に買った
講演料を払うべきアイヌ語教室の講師さんだ

  二六〇

室蘭に地球岬というすごい名前の岬がある
細い道をくねくねと行ってみると
なるほど水平線がまあるく見え
赤い太陽がちょうど沈んでいくところだった

  二六一

白鳥橋を渡ったのに野営場がみつからない
尋ね尋ねてたどり着くとサミットで閉鎖中だ
腹は立つが夜の九時に他を探す気になれず
道路端にテントを張って寝ることにする

  二六二

テントを張ろうとしている間にも
すぐに夜露でしっとり濡れる
北海道に着いてから何度も
霧や夜露が滴る経験をした

  二六三

明後日で家を出て四週間が経つ
そろそろ帰らなければ薬が切れる
これまで無計画に旅を続けてきたが
帰るための計画を立てるとするか

  二六四

今日も波の音の中で眠る
毎晩でなくてもいいけれど
時々はこうして潮騒の中で眠りたい
山の中だけでは満足できない

  二六五       (六月二七日)

今朝は海の吐息で目覚めた
噴火湾は三方海の巨大な入り江だから
海は一年中穏やかなのだろう
砂浜にはハマナスがたくさん自生している

  二六六

朝食後の薬を飲む時気がついた
あと十日で薬が切れる
旅もここらで切りあげて
家に向かって走らなければならない

  二六七

キャンプ場のアルトリ岬に行ってみた
サルナシ 山ブドウ 浜グミ 木イチゴなど
食べられる実をつける木がいたる所にある
静かな海もある何と豊かな土地だろう

  二六八

昭和新山は煙を上げる岩山だった
木も草も生えない中腹より上は
今でも成長しているように感じさせる
中学校の教科書で読んで以来見たかった

  二六九

有珠山の火口群は白煙を上げていた
元は国道だった舗装道路は引きちぎられ
折れた電柱や埋もれた道路標識が生々しい
壊れた家もそのままとり残されている

  二七〇

噴火から八年後の今も生きている火山
煙を上げ隆起し陥没した荒々しい地肌
自然の威力と人の無力が露出している
初めて出会って知る初めての気持ちだった

  二七一

洞爺湖の水は澄み切って青々と広がっている
美しい湖はたくさん見たがここは格別だ
天候と大自然に恵まれ温泉も湧く
湖をぐるっと一周して国立公園に納得した

  二七二

順光で青かった湖が逆光で白く光ったり
湖の中央の島の形が変わったり
湖の周りを走るにつれて景色が変化する
島と逆だが水辺を走り続けるのは同じだ

  二七三

山中にポツンとある店にキノコの文字を見て
入ってみるとヒラタケとタモギタケがある
時間が半端なのでバターいためで持ち帰る
夕食と朝食に分けて食べるつもりだ

  二七四

キノコ王国朝どりキノコ汁の大看板がある
キノコ汁を飲みキノコ飯のおにぎりを買う
知らないイグチ類のビン詰めもあった
ほしかったがかさばるのであきらめた

  二七五

峠を下る途中で支笏湖は突然現れた
今夜のテントは湖畔のキャンプ場と決めた
ところが食事の買い物をする店がない
キノコと小さなおにぎり一個の夕食になった

  二七六

湖のヒメマスは紅鮭の湖沼型だという
興味は強いが今回は釣りはしないことにした
始めたが最後何日つぶれるかわからない
釣りは帰り着いたら存分にやれる

  二七七

夕食が少ない分酒の肴が豪華になった
お土産に買った鹿肉やツブ貝の封を切った
チーズホタテを入れて何とか五百カロリーだ
インシュリンも初めて二単位減らして打った

  二七八

支笏湖は深くて大きなカルデラ湖で
さざ波が常に岸に打ち寄せている
東に入口を向けてテントを張った
明日は湖に映る朝日で目覚めるはずだ

  二七九       (六月二八日)

朝もやのため日は射さないが目が覚めた
炊事用品を出したままにしていたところ
カラスが袋をつついて穴だらけにしている
昨夜と同じ少量の朝食を摂って出発する

  二八〇

走りながらふと旅の意味を考える
家を出なければ新しい世界は見られない
求めることと捨てることは等しい一対のこと
人は誰も何かを捨て何かを求めて旅に出る

  二八一

走り続けて疲れ早めに然別湖で停まる
夕日の射す中遊覧船に乗ると
岩と木々が岸から静かに私を見ている
水と夕日がどうにも好きでたまらない

  二八二

昨夜と同じく湖畔のキャンプ場に野営する
昨夜と同じく食糧を買うことができなかった
牛乳とバナナともどした海草だけの夕食だ
よくぞ牛乳とバナナを持っていたものだ

  二八三

旅に出て四週間経った
一週間後には家に着いていなければ
あと一週間しかないことになると
カウントダウンの毎日となるだろう

  二八四

学生時代に作った歌をふと思い出した
海や山で空を見ていた一人旅の歌だ
四十年ほど昔のことだが気持ちはつながる
まるで四十年間がすっぽり抜け落ちたように

  二八五

少しずつ暗くなっていく
気がつくと書く文字が読みづらい
空は晴れ渡っている
明日こそ大雪山を見たい

  二八六       (六月二九日)

明け方放射冷却の寒さで目が覚めた
ジャンパーを着込んで寝直した
起きて血糖値を測ろうとすると低温警告だ
テント内でこれなら外の寒さはよほどだろう

  二八七

湖岸は晴れているが山には霧もかかっている
この湖にはオショロコマの湖沼型亜種が棲む
特色のある湖をいくつも訪れ次の湖に向かう
日射しが強くどんどん気温が上がりそうだ

  二八八

ハーレーの一団とすれ違う
傍若無人にけたたましい音を立てている
若者のヘロイズムと受け流そう
私は群れず静かに走り続ける

  二八九

標高千百メートルの三国峠を越したとたん
大雪渓を頂く偉容の大雪山連峰が見えた
天気が良くなるのを待ってやっと来たぞ
近づくにつれて山脈の広さがわかってくる

  二九〇

層雲峡は切り立った岩壁が続いている
銀河・流星の二つの滝は高く水量が多い
ゆっくり見るには数日かかるだろうが
今日だけしか時間は取れない

  二九一

ロープウェイに乗り黒岳五合目まで登る
下を見ると地面が遠くお尻がむずむずする
リフトでさらに七合目まで行く
リフトは地面が近いから平気だ

  二九二

多種類の高山植物の花がたくさん咲いている
確かにこれはお花畑と呼ぶにふさわしい
クロユリなど時々名札のつけられた花もある
寒くなってくる中多くの登山客とすれ違う

  二九三

リフトの下りは眼前に岩壁が連なり
すさまじい迫力だ
上りでは背を向けていたのでわからなかった
霧が出ているが日も当たる不思議な光景だ

  二九四

旭川のカムイコタンが気になりつつ素通りし
距離をかせぐため岩見沢のキャンプ場に急ぐ
何かのイベントが近くであるらしく渋滞し
やっと入口に着いたら道は閉鎖中だ

  二九五

不運を嘆きつつ道路端で夕食を摂り解除を待つ
暇にまかせて濃いコーヒーを飲んでいると
急にドドーンと花火が上がった
花火大会とは幸運だったのかもしれない

  二九六

今日は旅の六千キロ記念日だ
日にちも曜日も意識にないが
一日の走行距離と旅の積算距離は計算する
明日は六月末日北海道最終日とするか

  二九七

今夜のキャンプ場は予約制で一泊千円と
閉まったゲートをすり抜けてからわかった
九時すぎの今さら寝場所を探す気はせず
かまわずそのままテントを張って寝た

  二九八       (六月三〇日)

起きると移動日と決め一気に南下する
久しぶりに左手に海を見ながら走る
噴火湾の海は夏の色をしている
青々と静かに広がっている

  二九九

道の駅で少し年配の人に声をかけられた
こんなオートバイの旅は腕がいるんだろうな
いえ腕の範囲で走ればいいことでと答えたが
彼の気持ちには答えられなかった気がする

  三〇〇

陽が傾いて道にバイクと私の影が映る
弧を描いて走るので影は左から追い越す
バイクと私の黒い影に
バイクと私が伴走している

  三〇一

影は少し長くなって前を走っている
静かな海の夕日の時間になった
二つの頂と長いすそ野を持つ山が海に浮かぶ
かなしいくらい美しい時間の中にいる

  三〇二

函館まで走るつもりだったが
鹿部町温泉隣の無料キャンプ場に泊を決めた
ひなびて車も少なく景色がよい
函館の夜景より星空の方が魅力がある

  三〇三

明日の朝には北海道を離れようとする今
アイヌについて学んだことが心に残っている
コタンのライダーハウスの親父だけは
聞いても怒って答えてくれなかった

  三〇四

和人はアイヌを侵略し言語と文化を奪った
朝鮮半島を始めアジアでしたと同じように
利己的に野蛮な行為で民族を凌辱した
今も米国の手下となって同じことをしている

  三〇五

知ることは苦しみを伴うこともあるが
知らなければ私もただの和人・東洋鬼だ
被害者の声に謙虚に学ぶことでしか
嫌われない日本人にはなれないと思う

  三〇六        (七月一日)

鳥取は梅雨で雨ばかり 少しゆっくりしたら
妻のメールで考え直し医者を探すことにした
思えば雨で見られなかったオホーツクの海や
泊まりたかった所 行きたかった所は多い

  三〇七

夜露で濡れたテントをゆっくり乾かし
白つめ草の中の我が家を撤収する
昨夜は星がよく見えた
北海道の山の中だもの

  三〇八

昨日は閉館直後だった間歇泉を見に行った
どうしてもタイミングがあわなかった場所を
再度訪れるというぜいたくが
薬さえ手に入ればいくらでもできる

  三〇九

波打際では昆布が盛り上がって揺れている
浜では一家総出で昆布を干している
ほとんどは小石の干場に広げられている
朝の海辺には昆布のいい香りが流れてくる

  三一〇

朝も血糖値は低めだったが
昼前なのに低血糖を自覚する
急いで持っているバナナを食べる
このごろは予備の食物を持つようにしている

  三一一

通りがかりに恵山病院をみつけ
うまく薬が手に入った
血糖値測定用品は手に入らなかったが
これであと三十日旅を続けられる

  三一二

函館で啄木記念館をみつけ入った
若い頃啄木の短歌はたくさん暗唱した
私は啄木よりもう三十年も長く生きた
啄木が見た海辺の砂を握ってみる

  三一三

今夜は函館市営のオートキャンプ場に泊まる
五百円で貸切りになってしまった
安いコインランドリー始め立派な施設が
全て一人で使えるのはもったいない気がする

  三一四

二つの建物と歩道は私だけのために点灯され
トイレ炊事場温水シャワーコインランドリー
自動販売機も全て私だけのために準備された
シャワーと洗濯機は使わせてもらった

  三一五

今日は七月初日 予定変更の付録旅記念日だ
たぶん十日くらい旅が延びるだろう
北海道はあと二か月は良い季節だから
本州の梅雨明けまで居てもいい

  三一六        (七月二日)

函館文学館でまた啄木に会った
彼は約一年間北海道を漂泊した
私は約一か月の放浪だが
彼の苦悩と能天気の私はあまりにも違う

  三一七

地元の人が薦めた場所をめぐって昼になり
刺身盛り合わせ定食六百円を食べてみた
ホタテに鮭に甘エビ白イカ カニ汁つきで
函館の良い思い出が一つ増えた

  三一八

噴火湾が見渡せるパノラマパークに立ち寄る
夏の天気がこれで三日も続いている
湾が丸く土地に囲まれているのがわかる
今日ももちろんまだ泊まる所は決めていない

  三一九

昭和新山アイヌ資料館はちょうど閉館時間で
近くに泊まって明日また来ることにする
ところがサミットでまた問題が起きた
洞爺湖周辺のキャンプ場全て閉鎖されている

  三二〇

道路のどんづまりにテントを張って入ると
ヘリの音が近づいて頭上でしつこく旋回する
道路からは見えないが空からは丸見えで
みつかったと観念して酒を飲み続ける

  三二一

ヘリの音が近づくたび落ち着かない
早く暗くなってくれとしきりに思う
八時前でまだ薄明るいがもう大丈夫だ
みつかっていれば五分でパトが来ているはず

  三二二

夜になり闇の中立小便にテントを出ると
人工の光は一つもない見事な星空がある
白鳥座が頭の真上を飛んでいる
サミットのおかげで強烈な思い出ができた

  三二三        (七月三日)

スリリングな一夜が何事もなく明けた
ウグイスがしげく上手に鳴いている
長居は無用とさっさとテントを撤収する
冷え込みもなく夜露も少なく助かった

  三二四

昭和新山アイヌ資料館の開館を待って入った
予想外の収穫は熊送りをした時の写真だ
熊を殺すために木の棒で首を締めている
他の所はその部分を意図的に省いたのだろう

  三二五

昭和新山資料館でも多くを学んだ
三松正夫氏は新山を畑の持ち主から買い取り
天然記念物の指定を受けて保護に努めた
私財をはたき我が子のように愛情を注いだと

  三二六

札幌のピリカコタンでカムイへの祈りを見た
世界中の先住民族の交流があるということで
人が多すぎて十分には見られなかったが
じかに見るのは映像資料とは価値が違う

  三二七

気がつくと先住民族サミットのただ中にいた
十数か国の先住民族がスピーチを行った
アイヌが日本の先住民族と認められたと喜び
自分たちもと希望を持ったと語った人が多い

  三二八

結局夕食交流会の申し込みまでしてしまった
アイヌの学習でこんなところまで入り込んだ
思いがけないことは旅先ではよくあるが
偶然に身をまかせて楽しんでみよう

  三二九

雨中交流会を抜け出しライダーハウスを探す
九百円もしたが風呂つきだから良しとする
五衛門風呂に入るのは四十五年ぶりだった
燃していた木は電柱ほどの太さがあった

  三三〇        (七月四日)

今日も先住民族サミットに参加した
最終日でコンサートや踊りもあった
マオリの踊りやアイヌの演奏と歌や
手をたたきすぎて感覚がなくなった

  三三一

会場で同年代の二人の女性に出会った
コンサートの四時間の合間にも話が続く
ピースボート世界一周の思い出話もあった
別れる前には名刺交換をした

  三三二        (七月五日)

北海道にも真夏がやってきていた
薄着で走っても暑い日射しの中で
手袋を久しぶりに夏用に替えた
薦められた美瑛に立ち寄ろうと思う

  三三三

のどが乾いて道端の果物屋に停まった
実家の裏庭ですももが熟れる季節だ
思わずすももを買って店先で食べきった
さくらんぼも安かったので初めて買った

  三三四

富良野に向かう花人街道は花が多い
青い花をみつけて引き返したが
どうやらリンドウのようだった
アイヌが狩りに使うトリカブトの花が見たい

  三三五

「へその町」は今ははやらないらしい
富良野はちょうどラベンダーが咲く季節で
無料のキャンプ場も多くにぎわっていたが
時間も早いので泊まらず先に進むことにする

  三三六

美瑛は街外れに農村風景が広がっていた
畑ごとに作物が違うので色もとりどり
なるほど大地がパッチワークのようだ
丘もなだらかに染め分けられてかわいらしい

  三三七

たくさんの偶然が重なって今夜ここに寝る
昨日の二人連れに感謝
昨日の先住民族サミットライブに感謝
一昨日のピリカコタンとハウスの親父に感謝

  三三八

食物繊維を摂るために海草サラダを覚え
生野菜の青ジソドレッシング和えを覚え
毎食計算して五百カロリーに抑え
血糖コントロールも旅の間の方が良い

  三三九

走行距離は今日七千キロを越えた
家に着くころはほぼ一万キロになりそうだ
こうやって旅を続ければきりがないが
来月初めの車検までには帰らねばならない

  三四〇        (七月六日)

長男に誕生日おめでとうのメールを打ち
おいしい風景を見るため早々と出発する
まず昨日ぼんやりしていた十勝岳と美瑛岳
それから畑の中を通って丘に向かう

  三四一

ジャガイモの白い花と紫の花
色づきかけた麦の穂の明るい黄色
アスパラガスの黄緑色などが
様々な緑色の中に遠くまで続いている

  三四二

畑の中を流れる美瑛川の水はコバルトブルー
硫黄分を含んで独特の色になり
それでも透明度高く水量ほどよく
渓流竿を出したくなる渓相をしている

  三四三

なだらかに起伏する丘の上を走る
波打つ大地が直線的に色で区切られている
所々に小さく働く人の姿がある
作業の軽トラックもミニカーのようだ

  三四四

夏の日射しの中で風景に染まっていると
全身じっとりと汗ばんでくる
エンジンも私も空冷なので
たまらず走り出すことになる

  三四五

農道は丘の上を緩やかにカーブしながら続く
上ったり下ったり右に曲がり左に曲がる
色とりどりに染め分けられた畑の中の道だ
北海道だからこんな風景に出会える

  三四六

旭川に立ち寄り今夜は留萌の黄金岬に寝る
テントを張った他の二人は共に七十二歳で
一期一会の酒盛りになった
旅をする退職組の気持ちは通じている

  三四七

今日は暑い一日だった
旭山動物園ではたくさん汗をかいた
気温は三十三度もあった
ここは海風が涼しくて気持ちいい

  三四八        (七月七日)

朝から二十五度もある
薄着で走りだす
海辺に黄色い花が群れて咲いている
ああもう月見草の季節なんだ

  三四九

久しぶりの雨になった
雨の海は悲しそうだ
灰色にくすんで
さめざめと揺れている

  三五〇

雨の日は洗濯に限る
コインランドリーを探しだして
洗濯と携帯電話の充電と昼食をすます
時間つぶしだからのんびり過ごす

  三五一

利尻山が見たくてまた海辺の道を走るが
雨が降り続いていて見えない
おかげで一度目は気づかなかったハマナスが
道端にピンク色に咲いているのに気づいた

  三五二

雨は降り続ける
ハマナスは咲き続ける
バイクが元気なので
私は走り続ける

  三五三

海は白い牙をむき出している
ワニザメの群れのように押し寄せてくる
道路が海に近づくほど
むきになって吠えたててくる

  三五四

やっとライダーハウスをみつけて止まる
布団なしで千五百円とはボルなあと思ったが
こぎれいで温水シャワーもコーヒーもついて
まあしかたないかと納得した

  三五五

今日は七夕だがあいにくの雨降りだ
日々願いごとを考える余裕はない
目の前の状況に対応するだけで精一杯だ
あえて言えば明日は晴れますように

  三五六        (七月八日)

北海道一か月目の朝は雨が窓を打っている
どう過ごすか思案する
午後はオホーツクラインを往復して
また稚内に泊まろうか

  三五七

時間つぶしに寒流水族館に行ってみる
アザラシとペンギンが手の届く近くにいる
イトウやオオカミウオやクリオネもいた
旭山動物園より満足した

  三五八

ライダーハウス「漁師の店」に宿替えをした
二食つきで二千円はむちゃくちゃに安い
初めての夕食は初めてのウニ丼とタコ刺に
毛ガニたっぷりの味噌汁までついていた

  三五九

九時すぎオーナーがお通夜から帰ってきた
他の店に気を遣って口コミだけで人を呼び
本には載せないようにして三年目になる
旅行者に対する思いが伝わってきた

  三六〇        (七月九日)

朝食も海産物中心で品数が多い
量の多いご飯を同宿の若い二人に分ける
ぐずぐず曇り空を見た後しかたなく出ていく
走り回っても景色が見えねば舞い戻るか

  三六一

少し走って停まりコーヒーを飲もうとすると
一匹のキタキツネが物欲しそうに寄ってくる
冬毛がまだらに抜けてみすぼらしい姿だ
かわいそうだが何もやらず写メールに撮る

  三六二

再び利尻を見たいと戻るオロロンラインで
道端に大きな糸巻形の牧草が転がっている
同じ方向を向いてばらばらに散らばって
あとしまつしないままのおもちゃのようだ

  三六三

昨日も一昨日も雨で見えなかった利尻山は
曇り空の今日も探してもみつからない
李白の漢詩峨眉山月の歌を想いつつ
ターンしてオホーツクラインに向かう

  三六四

だんだんクラッチが重くなり数日手が痛む
油を差そうとバラすとワイヤが切れている
修理して油を差すと嘘のように軽くなった
それだけで走る喜びがずいぶん増した

  三六五

宗谷岬で風に吹かれて流れる歌を聴いている
流氷とけて春風吹いてハマナス揺れる……
昨日も今日も宗谷の岬で晴れるのを待つが
オホーツク海は灰色に穏やかに広がるばかり

  三六六

ハーレーの一団がやってきた
ライダーは全員革ジャンに身を包んでいる
他の人と話しているのに声が聞こえなくなる
バタバタとやかましく吹かして去っていった

  三六七

二年前まで今のようには人と話せなかった
十五年前に女房に先立たれて
家でじっとしていたらウツになりました
今は車で旅行もできると話は続く

  三六八

見ず知らずの他人にそんな話ができるのも
お互いに旅をしている者同志だからだ
明るい話ばかりでないのは年齢のせいもある
だが根本は満たされないからここにいる旅人

  三六九

二日も連続で畳の上に寝ると
テントを張るのは久しぶりという感覚だ
風がそよ吹くのも心地よい
月が出て明日はよい天気になりそうだ

  三七〇

稚内公園で近くのテントにあいさつして回る
すぐに会話が盛り上がる
人と人とはこんなふうにもつながりあえる
インターネットに助けてもらわなくとも

  三七一

十時頃寝て六時頃起きる
七時と一時と七時に食事をする
そういうリズムで生活している
テレビも新聞もめったに見ない

  三七二        (七月十日)

五時半に目覚めて空を見ると曇っている
期待しただけにちょっとがっかりだ
霧なら晴れるかもしれないと考え直す
降られず朝を迎えられたことを喜ぶとするか

  三七三

何もすることがないので霧の中陸別に向かう
曇り空の下オホーツク海に沿って南下する
晴れたらまた来ればいい
道は砂浜の横を走っている

  三七四

道と浜の間にいろいろな花が咲いている
ハマナスやスカシユリ他にも白や黄の花々だ
あまりの見事さにたまらなくなって停まる
奇跡のように霧が晴れ空と海が青くなる

  三七五

土地の人が一番の道と言った理由がわかった
使うまいといましめていた言葉が出てしまう
あまりにも美しい 美しすぎる花の中の道
日射しが強くなり花と海がますます鮮やかだ

  三七六

こんな風景に出会えるなんて
本当に胸がどきどきしていた
三日待ってあきらめていただけに
オホーツクのうれしい不意打ちにあった

  三七七

花を見てどれくらいの時間が経ったのだろう
また霧が出て気がつくと昼近くになっている
血糖値が下がりすぎないうちに
店を探して食事をしなければならない

  三七八

走り出そうとして異形の岬にはっとした
確かめるとまさしくそれは神威岬だ
信仰を持たぬ私だが
アイヌのカムイのもてなしかと思えた

  三七九

礼を言う気持ちで国道を外れ神威岬を巡り
岬の先端で停まりアイヌ式の挨拶をした
その時ぞっと寒けのようなものが体を走った
偶然だったとしてもアイヌとして感謝を表す

  三八〇

西と東の神威岬は対極の状態だったが
どちらも忘れ得ぬ印象を残した
荒ぶる神でもあり恵みの神でもあるカムイの
二つの姿を見た同名の二つの神威岬だった

  三八一

陸別に着き教えられたうどん屋を訪ねると
目当ての主人はガンの治療で不在だったが
店を切り盛りするつれあいさんが
夕食やテント場を提供してもてなしてくれた

  三八二

今日走行距離が八千キロを越えた
新品のタイヤも偏磨耗し五分山になった
帰り着けば七月二十日を過ぎ梅雨も明ける
海に潜るためにさっさと北海道を発とう

  三八三

帰る前にもう一度知床半島に行き
遊覧船で半島先端と見残した滝を見て
北海道の見納めとしよう
明後日には函館にいるだろう

  三八四

今日一日を金に換算すると
十万円では安すぎるし二十万円ぐらいかな
一日二万円のかせぎ十日分の価値だ
本当は生涯初めての体験で値段はつかない

  三八五       (七月十一日)

夜中に降りだした雨が朝も降り続いている
テント泊では初めての経験だが平気だ
出ようとすると長靴に雨が溜まっている
テントの中まで水が入っているのにも気づく

  三八六

フライシートの止め具が一つ外れていた
薄暗い中で急いで張ったので点検が甘かった
降らないと高をくくって靴をかくさなかった
望んだわけではないがいい経験になった

  三八七

ガイドブックも水を吸ってふくらんでいる
ブルーシートのおかげでシュラフは助かった
今日は一日雨のようだ
濡れたテントをくるんで知床まで行こう

  三八八

うどん屋さんで長話をして午前中過ごし
さぬきぶっかけうどんのお昼をいただき
五百円しか受け取られず弁当も持たせられ
折しも雨の上がった陸別を離れ知床をめざす

  三八九

道路標識を見落とし何十キロも遠回りした
阿寒湖畔に寄りお礼だけで素通りのつもりが
話せばやっぱり止まらなくて夜になる
おっかない親父のライダーハウスに泊まる

  三九〇

アイヌ生活館で三人のアイヌの話を聞いた
道端での晩飯は陸別弁当とレタス丸かじり
通りがかったおばちゃんが不思議そうに見る
ドレッシングはないの あるけどめんどうで

  三九一

ハウスの前にバイクと自転車がたくさんある
入ると十人ほどの若い男女が談笑している
全員一人旅だという
北海道も若い旅人の季節になったのだ

  三九二       (七月十二日)

絶景のはずの美幌峠は深い霧の中だった
美空ひばりの歌う「美幌峠」の歌詞や
映画「君の名は」のロケの写真だけ見て
景色を見ないまま心残りの峠を立ち去った

  三九三

薄日の射す網走港で
浜ゆでカニの看板にたまらず入る
オホーツク海から今朝上がったばかりの
旬のイバラガニの大きな足いっぽんで満足

  三九四

左路傍にキスゲのような花の大群生を発見し
またたまらず停まると右路傍はスカシユリが
目の届く先まで小さく見えて群れている
湖のほとりの小清水原生花園だった

  三九五

左は黄色右はオレンジ
広々と続く花畑を見ながらまた思う
オホーツクラインが最も美しいと言った
ハウスの主人の言葉はやっぱり正しかった

  三九六

ここも一度目に通った時は気づかなかった
時期や天候や時間などの様々な条件によって
風景との出会いもまた
一期一会だと知った

  三九七

知床に着いたが霧が濃く遊覧船も終わり
ここに泊まっても明日の天候はあやしい
降らねばキャンプだが降るかもしれない
さんざん思案してウトロにテントを張った

  三九八

BMWをしげしげと見て話しかけてきた人が
遊びに来てくださいとテントを指さした
まず温泉に入って訪ねてみると
釣ったアイナメやコマイをふるまってくれた

  三九九

昨日なら釣ってきたヤマベとオショロコマが
たくさんあったのにと惜しんでくれる
毎年七月第二土曜日に来るという二人づれ
この人たちとオショロコマを釣りたかった

  四〇〇

渓流ではどのくらい釣りますかと聞かれて
二、三百と答えると少し口ごもって
ここらでは四、五百釣れますと言う
何とそれは一日に釣る数だった

  四〇一       (七月十三日)

夜中に土砂降りになった
たぶん今回は雨は入ってこない
テントを張る時用心深く点検した
起きると日が射している

  四〇二

知床は地の果ての意味のシリエトクが語源という
知床半島を遊覧船で巡る
乙女の涙と男の涙は岩壁から湧き出す滝だ
オーバーハングの断崖に洞窟が続いている

  四〇三

この断崖は波と流氷に削られてできたという
何万年もかけて百数十メートルの崖になった
羅臼岳や硫黄山などの知床連峰が見える
厳しい条件のため手つかずの自然が残った

  四〇四

硫黄山から流れる湯の滝カムイワッカを見て
船は知床半島の半ばで折り返し港に帰る
先端まで行きたい気はあったが高くてやめた
人が入らないからこそ自然が残される

  四〇五

船着き場の近くで酋長の店の看板をみつけ
入ってアイヌのおばさんの話を聞いた
おばあちゃんに昔話をせがんだ思い出や
友人が来るとシャモかウタリか聞かれた話

  四〇六

知床半島を上る途中エゾシカが見ている
白樺の木々が苦痛に身もだえする姿で立つ
小雨のなかでも羅臼岳はよく見える
霧が巻く山を見ながら峠で遅い昼食を摂る

  四〇七

羅臼岳を背に峠を下りながら思う
これで北海道に心残りはない
あとはひたすら函館をめざし
本州青森からまだ見ぬ地の旅を始めよう

  四〇八

一度来たことのある無料長節湖キャンプ場は
管理人さんがイカ焼きとゲソフライをくれた
人の良いおじさんはバイクの乗り入れまで
六時半に駐車場に出せばと許可してくれた

  四〇九

海鳴りに囲まれて眠ることになる
前回は閉鎖中だったが店のひさしを借り
雨が降るのをしのぐことができた
管理人さんには黙っておいたけれど

  四一〇

今日はたくさんの宝に恵まれた
こんな人生もあるとやってみて初めてわかる
明日もたくさん思いがけない体験をしたい
海がやさしく子守歌を歌っている

  四一一       (七月十四日)

霧の朝はテントもバイクも濡れている
日が射さずテントを乾かすのに時間がかかる
早めに朝食を摂って距離をかせぎたいが
日中の降水確率は雨を覚悟させる

  四一二

四百キロ走ってもリザーブにならない
心配になって給油するが十六リットル弱だ
信号もないので止まる必要もなく
とんでもないほど燃費が伸びている

  四一三

清流に架かる橋で思わず止まる
三本の流れが合流する絶好のポイントだ
水深も十分で大物も潜むだろう
そこにフライロッドの釣人が現れて幻滅した

  四一四

立ち寄った天馬街道日高山中のトイレは
車道から分離された駐車場の奥にある
寝心地がよさそうだとつい考えてしまう
これも夕方になると寝場所を探す習慣から

  四一五

日高山脈を越えると牧場が続く
きれいな緑が広がる中に馬が草を食んでいる
しっとりと霧に潤った目に優しい風景だ
襟裳を避けて山越えをして良かった

  四一六

天気予報がはずれて夕方から晴れてきた
長く伸びた影と一緒にキャンプ場に入った
久しぶりに赤い夕日が海に沈むのを見た
今夜が北海道最後の夜になるだろう

  四一七

今日はひたすら函館をめざして走った
朝七時半から夕六時半まで四百三十キロ
函館まであと百キロを切った
燃費はリッター二十五キロ以上伸びた

  四一八

いつもより無理をしたので手も足も痛む
晴れた夜は日が落ちるなり露が降りる
テントはもうびっしょりと水滴で濡れている
もうすぐ満月の月を見て早々とテントに潜る

  四一九       (七月十五日)

起きると両手が重い
右手はアクセルを固定するために
左手は前傾した体重を支えるために
走っている間ずっと静かに働いたから

  四二〇

思えば四百キロ以上走ったのは二度目だ
旅の初日の富山友人宅までが初めてだった
長旅で急ぐことはなかったのだが
心はもう青森恐山に飛んでいる

  四二一

広いキャンプサイトを独占して朝食を作る
朝日が照らすテーブルで海藻の汁を作ったり
レタスをちぎってドレッシングで和えたり
いつもより豪華な朝食をゆっくり食べる

  四二二

テントを乾かすのに小一時間かかった
めずらしくよく晴れた一日になりそうだ
遠回りだが海岸線を通って函館に行こう
お祝いのように晴れた北海道の最後の一日だ

  四二三

丘を下る時噴火湾がきれいに見えた
静かに晴れた海が広々と見える
朝日の中左手に海を見て亀田半島を一周だ
こんな日が続いてくれたらと思ってしまう

  四二四

特に変わったこともない晴れた一日がある
海辺の道を潮風に当たりながらゆっくり走る
こんな穏やかな幸せがうれしい
森町でいか飯を買いトマトを丸かじりした

  四二五

国道を外れ庶民の生活の匂いのする港町には
民家が並び古いお店や保育園もある
静かに日射しが降る中を時速四十キロで走る
私の旅の喜びをかみしめる

  四二六

やっぱり遠回りしてよかった
早く目的地に着くための道でなく
風景と人生を味わう小道を
小学校の下校時のように道草を食いながら

  四二七

澄んだ波が寄せる音の中でウミネコが鳴く
黒い岩の上に白いウミネコたちが整列する
頭の上に青い空 目の前に青い海が広がる
顔に海風と陽がちくちく当たる

  四二八

北海道では海が広い
海を見ながら旅行者とおしゃべりする間も
海はずっと揺れながら一八十度広がっている
気がつくと昼になっていていか飯を食べる

  四二九

太陽が頭の上から照りつけて
夏の色した海が透けて底の岩が見える
東浜の海につかりたくなる
鳥取はもう梅雨明けしただろうか

  四三〇

船は函館港を離れた
三十八日間のアイヌモシリの旅は終わった
夕日が船の横に光の道を作ってついてくる
李白の歌った峨眉山の月をまた想う

  四三一

初めて大きなトラブルが発生した
大間に向かうフェリーでバイクが倒れたのだ
パニアケースとテントのケースが壊れた
走行に支障はないが雨は入るかもしれない

  四三二

ヘッドライトの球も切れて交換が必要だ
パニアケースは新品にしても鍵は使えない
時間の無駄と今後の不自由 気分の減退に
何の補償もないなら納得いかない

  四三三       (七月十六日)

初の下北半島で朝一にヘッド球を交換する
荷物を下ろして工具を出してカウルを外して
やっとヘッドライトを開けることができる
手間だが球がスタンドにあってありがたい

  四三四

海を右に見て陸奥湾に向かう
仏ヶ浦の写真を見て興味を惹かれる
遊覧船は待ち時間が長すぎてやめる
なんと穏やかな海だろう

  四三五

仏ヶ浦への山路は曲がりくねりスピードが出ず
タイヤの横ばかり使って走ることになる
速度制限はないのがおもしろい
出せるものならどうぞということか

  四三六

仏ヶ浦でグラスボートに乗った
なるほど仏様がいらっしゃる
五百羅漢も迫力十分
とがった不思議な岩ばかり

  四三七

道端に山のあじさいが咲いている
こんなに青色が濃いのはどうしてだろう
群れて咲く姿は恥ずかしがる乙女のようだ
伏目がちに黙ってわずかに風に揺れている

  四三八

突然道の前方に動物が跳び出した
近づくと下北半島で有名な大きな野猿だ
赤い顔をこちらに向けて私を見ている
驚いたのはお互い様だろう

  四三九

下北半島西南端の北海岬に行ってみた
寝心地の良さそうな休憩所は閉まっていた
すぐ沖に見えるのは津軽半島に違いない
道路が行き止まりなので折り返した

  四四〇

土地のおばあちゃんに話しかけたら
東北弁と言うのだろうか
何を言っているのかわからなくて困った
申しわけなくてわかったふりをして去った

  四四一

それにしてもすごい道路だ
五十メートルほどの崖の下を細々と続く
道路のまっすぐ下に海がある
曇って海が白いのが残念だ

  四四二

鹿児島から二台で走ってきた若い夫婦と二張
今夜は素敵な屋根つきの野外ステージに寝る
公園の一角だが誰もいなくて温泉も隣にある
雨が降り出したむつ市でうまくみつけた

  四四三       (七月十七日)

テントは濡れず撤収が楽なので時間ができた
その分スープや野菜サラダで朝食が充実した
若い二人があいさつして出発したあとで
数日ぶりにヒゲまで剃ってもまだ七時半だ

  四四四

恐山への道は鬱蒼とした林の中を通っている
道の辺に白い頭巾赤い前掛の野仏がたたずむ
雰囲気の漂う静まり返った参道に霧が流れる
細い目で口を結び動かない石仏の表情

  四四五

冷水の湧く所があって飲んでみるとうまい
やってきて水場の掃除をする女性の話
掃除を始めた頃は山で毎日女の話し声がした
山菜採りの人と思ったが考えると不思議だと

  四四六

霊場恐山の額をくぐると強い硫黄臭がする
湖の水は硫黄分特有の深く澄んだコバルト色
無間地獄の白い岩を硫黄ガスが黄色く染める
極楽浜には花やお供えが何列にも並んでいた

  四四七

本州北端大間崎は雨でヘルメットのまま昼食
東端尻屋崎はひどい濃霧で景色は見えない
わずかに見える海辺を晴れた時見たかった
どこに続くのかわからない中を走り続けた

  四四八

濃霧の中を二時間さまよった
中央線しか見えず上りか下りかもわからない
案内標識は一々止まってやっと読めた
霧が晴れ道が乾いたのがうれしい

  四四九

泊まろうとしたキャンプ場は高いのでやめて
駐車場の隅にテントを張った
無料に勝る条件はない
宿泊費の予算は一泊五百円以内だ

  四五〇

海辺を多く走るのでサビが目立ってきた
走行距離は一万キロを越えた
家に帰り着くと一万二千キロ近いだろう
新品だったタイヤもちびて交換時期になるか

  四五一

今日も好きな波の音の中で眠ることができる
山はヒグマが出てこないか気になったが
民家のある海辺は動物の心配はない
心配なのは車の出入りで目が覚めることだ

  四五二       (七月十八日)

夜中に車の音やライトで何度か起こされた
それより早朝の土砂降りにはまいった
だんだん雨足が強くなり三時間も降り続いた
幸い雨は通りすぎ六時にはぴたりと止んだ

  四五三

曇り空で二時間たってもテントが乾かない
しけっているがカビるのを覚悟でたたむ
陸中海岸が呼んでいる
松島も早く見たい

  四五四

さっきまで岸にいた人たちが海の中にいる
干潮を待って一斉にウニ漁にかかったようだ
胴長に竿を持って十数人海中をのぞいている
ウニ丼は高いが漁師の収入はどうだろう

  四五五

久慈から海辺に向かう道は細く中央線もない
岩にオレンジ色のスカシユリが咲いている
オニユリの咲く山陰海岸によく似た風景だ
思わず停まり浄土浜の景色を味わう

  四五六

陸中海岸でカンパネルラ田野畑駅をみつけた
確かにこの駅名と由来は読んだことがあった
立ち寄って喫茶室でホットコーヒーを飲んだ
宮沢賢治の詩碑にも出会えた

  四五七

日本一の景観とうたってあるので
十キロ引き返して北山崎に行ってみた
写真の通りの絶景だがどんより曇っている
晴れていれば印象はもっと鮮やかだろう

  四五八

潮吹き穴は波静かで時々少しだけ潮を吹いた
しかし見はるかす太平洋が沖まで広がり
気持ちも大きく広く晴れ晴れとする
めずらしくなくとも広い海があればいい

  四五九

今夜は国道をはずれて遠い岬の姉吉野営場が
温水シャワーもついて三百円で貸切りだった
おかげで屋根のついた休憩舎にテントを張る
カビを覚悟したテントも乾くだろう

  四六〇

明日は遠野と花巻にも足を伸ばそう
宮沢賢治記念館を訪ねるつもりだ
その後リアス式海岸を見つつ松島に行こう
たぶん松島辺りに泊まることになるだろう

  四六一       (七月十九日)

テントが乾いているうれしさを知っている
あたりまえの有難さはそうでない体験から
曇って薄日が射しているので長靴を脱げる
昨日の雨中のツーリングに比べれば上々だ

  四六二

遠野は北上山地の深い山の奥にあった
渓流に沿って分け入る道は笛吹峠を越え
また細流が始まり平地が開け
そこが物語の里遠野だった

  四六三

昼食にひっつみという郷土料理を食べた
すいとんを食べるのは初めてのように思う
野菜がもう少し多ければ言うことなしだ
めずらしがってやきもちも頼んで食べすぎた

  四六四

河童渕は小川にしては深く水流もあって
土手の草の生えぐあいも隠れやすそうだ
カンゾウの花が一列に並んで咲いている
私が河童でもここらで遊ぶだろうと思った

  四六五

長年来たかった名の通りの遠野に来た
オシラサマもやっとどんな神様かわかった
私もその一人だが町に観光客がたくさんいる
柳田國男と遠野物語のおかげだ

  四六六

花巻の宮沢賢治記念館を訪ねた
注文の多い料理店の向かいにひっそりあった
ここにいる人は観光客でなく賢治が好きな人
静かにじっくりと資料を読んでいる

  四六七

また海辺に戻り気仙沼御崎野営場に寝る
内陸は三十度を越したが海辺は十度台で寒い
ヤマセで注意報が出ている通りの濃霧だ
うまく七時少し前にキャンプ場に着いた

  四六八       (七月二十日)

非常に静かな朝を迎えた
カモメやカラスの声も波風や車の音もない
他のキャンプ客の話し声もしない
よく聴くと時々小さく小鳥がさえずるだけ

  四六九

ピンク色の小花をたくさんつけた大木を見た
はっとした 合歓の木に違いなかった
今年初めて見る合歓の花だった
山陰の夏の海辺が目に浮かんで胸騒ぎがした

  四七〇

松島に着いて車と観光客の多さに驚いた
何が奥の細道だ芭蕉も仰天するだろう
松の生えた島がたくさんあるのはわかった
それだけで都会の大通りを逃げ出した

  四七一

鳴子の知人の案内で芭蕉の足跡をたどった
地元の国語教師ならではの詳しいガイドだ
自家野菜たっぷりの夕食をいただいた上に
鳴子温泉の旅館に宿を取ってあった

  四七二

今日一日合歓の花が盛りだった
南下していて合歓の花前線にぶつかったのだ
めずらしく大木の並木まであった
芭蕉の象潟の合歓 大好きな夏の花合歓

  四七三        (七月二一日)

朝から雨でまず洗濯をしたあと
山の中を秋田県まで走って秘湯につかり
名物の山菜細うどんをいただき
合歓の並木の見送りで鳴子を発った

  四七四

有名な鳴子のこけしの語源は子消し
つまり間引きの説があるという
元々人形は気味が悪くて好きではないが
聞けばさらにこけしは持つべきでないと思う

  四七五

夜は会津若松の河川敷にテントを張った
受付時間を過ぎ野営場に入れなかったのだ
トイレも全て鍵が掛かり公園とも思えない
寝ようとしていて震度四の地震まであった

  四七六       (七月二二日)

五時に目覚めると広い河川敷には誰もいない
低く射す朝日に当ててテントを干す
朝食を摂りまだ七時前なのに早々と出発した
今夜が旅の最後の夜になるかもしれない

  四七七

日光は景色は良かったが人が多く素通りした
道端に猿がたくさんいてめずらしかった
いろは坂は二車線使って走れ楽しかった
夏空の下の中禅寺湖は停まってしばらく見た

  四七八

レタスは三個ばかり食べたらあきてしまった
海藻サラダやスープや味噌汁もごぶさただ
昼食にはトマトとキュウリを丸かじりした
家庭菜園に苗を植えて出たが実っているか

  四七九

今日は暑い一日だったが走れるだけ走った
なるべく観光地や避暑地を避けて走った
高い山脈を走る時は涼しくて景色も良かった
平地の街は信号も多く暑くて汗が流れた

  四八〇

四百キロ以上走って上高地の近くの野営場は
観光地で高いかと覚悟したが九百円だった
家まで五百キロあるが帰れるかもしれない
すると今夜が長旅最後の夜になる

  四八一

旅の途中で買った酒の肴もまだ残っている
無理をして帰るのはよそう
疲れが残れば意味がない
何よりも事故を起こしてはだいなしだ

  四八二

しばらく旅を続けていると定住したくなる
定住しているとまた旅に出たくなる
そんなふうに私の人生はある
まるで時計の振り子のようだ

  四八三

寝る前テントを出てみると空気は冷えていて
仰ぐ空には白鳥が明るく飛んでいる
星をみると時間軸が過去に動く
ずっと昔の同じ星座を見た時に戻ってしまう

  四八四       (七月二三日)

昨日の無理がたたって起きたのは七時だ
テントもびっしょりで乾かすのに時間が要る
朝食に海草スープやコーヒーも飲んで
今日は無理をせずもう一泊するつもり

  四八五

飛騨路は車も少なく山紫水明で気分が良い
産地直売場のトマトとキュウリは安く
ポケットの塩を振り店先でかぶりつく
ここまで一日で来られるなら何度も来たい

  四八六

街に入ると走っていても汗がにじむ
アスファルトが焼け温度計は四十度を越す
体温よりはるかに高い気温の中をまた走る
頭が煮えてしまいそうなヘルメットが邪魔だ

  四八七

十八時半でもまだ三十度もあるが
鳥取まであと百キロに近づいた
一泊するつもりが夜まで走れば着きそうだ
飛騨路が快適でかえって疲れが取れたようだ

  四八八

暗くなっても走ることはほとんどなかった
暮れる前に泊まる場所に着くようにしていた
今日はテントを張る必要がないので夜も走る
四八〇キロ走って二十一時前家に着いた

  四八九

猫が玄関に迎えに来ていた
妻と長男はテレビを見ていた
娘は仕事でまだ帰っていなかった
荷物をほどいて土産を並べた

  四九〇

私あての郵便物や荷物の山があった
五十三日の留守の間に届いたものだ
確認していくと締切が過ぎたものもあった
旅の長さを物語る量の品々だった

  四九一

退職祝いや誕生日の祝いの品に同窓会案内
年金特別便カード利用代金明細書納税通知
車検案内定期刊行誌奨学金返済案内に私信
また日常のしがらみに囚われる日々が来る

  四九二

一万二千キロの旅の総括はまだできない
今は頭も体も疲れている
まずは休んで発熱が収まった後
ゆっくりと旅の意味を考えることにしよう

  旅の記録

期間 二〇〇八年六月一日(日)~七月二十三日(水)
   五十三日間(うち北海道三十八日間)
走行距離 一万千九百六十一キロ
    (うち北海道七千七百八十三キロ)
使用バイク BMW R一〇〇
     (初年度登録一九九〇年 六万八千キロ走行)
旅費 三十一万八千円(うちガソリン代約十万円
   宿泊費有料二十五泊で二万五千九百円)

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