現在も地域の人々から愛され継がれている神社・宮は数多くあります。また、役目を終えひっそりと静かにたたずむ神社も数多くあります。
お参りした神社の中から心に残ったお勧め神社を少しだけ紹介していきます。
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瀧神社 岡山県岡山県勝田郡奈義町豊沢に鎮座 |
社 名 | 社格 | 鎮座地 | 備 考 | |
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雲龍寺 愛石社 あたごしゃ | 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野 | 紺屋町雲龍寺横の愛宕山にあり愛宕さんと親しんで呼ばれています。今から千年ほど前の正暦・寛弘年間に郡司紀氏郷によって勧請され、殿(気高町)の晋瀬井の山上に祭られましたが、神のお告げで1024〜28年(万寿年間)に現在地に移されたといいます。その後さびれていましたが、雲龍寺住職晃禅が2間四方の小社を建て参詣路を開いたので人々もお参りするようになりました | |
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津山 作楽神社 さくら | 県社 | 岡山県津山市神戸 | 1331年(元弘元年)に鎌倉幕府の打倒に失敗し囚われの身となった後醍醐天皇は光厳天皇への譲位を強制された後、翌年3月になって京から隠岐へ配流されたが(元弘の乱)、その途上、美作国院庄の守護館に宿泊した。一方、備前国の土豪児島高徳は手勢を率いて、護送の途中で先帝(後醍醐天皇)を解放しようと企てたが、好機を見いだせないまま院庄まで追跡してきていた。厳重な警護をかいくぐり守護館の庭に単身潜入した児島高徳は、桜の木の幹を削って白くなった所に、次のような十字詩を刻んだ(「白桜十字詩」と呼ばれる)。 |
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兵庫東灘 東明八幡宮 とうみょう | 兵庫県神戸市東灘区御影塚町2丁目 | 神功皇后が朝鮮半島へ船出の時に、武内宿禰大臣が皇后の健勝を祈って此の地に植えた若松は、枝葉も繁りまたたく問に大木に育った。後年、此の地を訪れた大臣はこの瑞兆を奇貨とし、応神天皇の御遺徳を称え、松の傍に「桐を建て神霊を勧請して「正八幡宮」と称し、遠目郷(東明村・現御影塚町)の鎮守とした。その後、貞観の代に九州宇佐八幡宮の御神霊を京都男山の石清水八幡宮へ御遷しの時、御鳳輦が当社で休息されたとも伝えられており、古来より「厄除息災・願望成就」の神として近郷より篤く出示敬されている | |
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湯村 八幡神社 はちまん | 兵庫県美方郡新温泉町湯 | 全但バス乗り場の目の前の高台にある「八幡神社」は、京都・石清水八幡宮の但馬国/勝楽寺別宮として御奉祀された神社です。境内には日本三古塔の1つで、千年釜と呼ばれる特異な形の五輪の石塔や、樹齢数百年の古木で、縁結びや子宝に御利益があるとされる、御神木の「夫婦杉」などがあります。 夫婦杉の奥にある神輿倉には、八坂神社の祭礼に使用されていた元禄11(1698)年製作の神輿などがあります |
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磯部 天の岩戸 あまのいわど | 三重県伊勢市磯部町恵利原 | 天照大御神が弟・須佐之男命の悪事を戒めるために隠れたという伝説がある洞窟が残っています。岩穴から湧き出る清水は「名水百選」に認定されています。 | |
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明治神宮 めいじ | 官幣大社 | 東京都渋谷区代々木神園町 | 東京都渋谷区にある神社。第122代天皇の明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。大正9年に創建 |
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上野東照宮 うえの | 府社 | 東京都台東区上野公園内 | 正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、別名「三処権現」とも呼ばれる。三大東照宮を名乗っていないが、その豪華さや、近隣の芝東照宮が「日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることがある |
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赤坂 日枝神社 ひえ | 准勅祭社、官幣大社 | 東京都千代田区永田町二丁目 | 創建の年代は不詳である。文明10年(1478年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのに始まるという。徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守とした |
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奈良豆比古神社 ならつひこ | 式内社・村社 | 奈良県奈良市奈良阪町 | かつては奈良坂春日社と称していた。春日社とも八幡社とも称する |
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京都 月読神社 つきよみ | 式内社・松尾大社摂社 | 京都府京都市西京区松室山添町 | 「松尾七社」の一社。松尾大社の南400メートルの地に鎮座する |
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信楽 新宮神社 しんぐう | 郷社 | 滋賀県甲賀市信楽町長野 | 奈良時代の霊亀元年(715)九月の創建以来、信楽町大字長野、神山、江田、小川の「産土神(氏神)」として広く人々から尊び崇られ、「新宮大明神」と呼ばれた |
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甲賀 飯道神社 いひみち | 式内社・村社 | 滋賀県甲賀市信楽町宮町 | 滋賀県甲賀市の飯道山(はんどうさん、標高664メートル)に鎮座する。祭神として穀物神の宇賀御魂神および、弁財天を習合する飯道権現が挙げられている |
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京都 大宮売神社 おおみやめ | 式内社・府社・丹後国二宮 | 京都府京丹後市大宮町周枳 | 京都府北部、竹野川上流の右岸段丘上の木積山西麓に鎮座する。祭神を大宮売神・若宮売神の2柱とし、宮中の奉斎神として著名な大宮売神を宮中以外で祀る唯一の式内社として知られ、一説には宮中の大宮売神の元社になるともいわれる |
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伊豫豆比古命神社 いよずひこのみこと | 式内社・県社 | 愛媛県松山市居相2丁目 | 神紋は十六弁八重表菊。地元では椿神社、お椿さんとも呼ばれている |
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琴弾八幡宮 ことひき | 県社 | 香川県観音寺市八幡町 | 琴弾八幡宮は、香川県観音寺市の琴弾山の最も高い山頂部にある神社である。旧社格は県社。麓に随心門があり378段の参道がある。その麓には神幸殿や数々の摂社や広い広場があり秋祭りのときは町内の太鼓台が集結する |
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石鎚神社 いしづち | 県社・別表神社 | 愛媛県西条市西田甲 | 西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で、山麓に鎮座する本社、山腹の成就社と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の4社の総称である。石鎚山総本宮と称し、宗教法人・石鎚本教の総本宮でもある。神紋は丸に石の字 |
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津島神社 つしま | 香川県三豊市三野町大見 | 津嶋神社は、香川県三豊市の北部に浮かぶ津島にある子供の守り神として信仰を集める神社 | |
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湯神社・中嶋神社 ゆ | 式内社・県社 | 愛媛県松山市道後湯之町 | 湯神社は、景行天皇が皇后・八坂入姫命とともに当地に行幸した際、道後温泉の守護神として、鷺谷の大禅寺の前に創建されたと伝えられる |
筑波山神社 つくばやま | 式内社・県社・別表神社 | 茨城県つくば市 筑波1番地 | 東の霊峰「筑波山」を御神体として仰ぎ、約3千年の歴史を有する古社で、境内は中腹の拝殿より山頂を含む約370haにおよび、山頂よりの眺望は関東一円に及びます。 | |
一ノ矢八坂神社 いちのやさか | 郷社 | 茨城県つくば市玉取2617 | 社地は広大で境内には老杉・欅が鬱蒼と生え茂っており、千幾百年の古き歴史を物語っています | |
水戸 東照宮 とうしょうぐう | 県社・別表神社 | 茨城県水戸市宮町2?5?13 | 元和7年(1621年)、家康の十一男で水戸藩の藩祖である頼房が、父の家康を祀るために景勝地の霊松山に創建した。中央に東照大権現、左に山王権現、右に麻多羅神(唐の青龍寺の鎮守神で、比叡山の鎮守である日吉大神と同神とされる)が祀られ、創建当初は「三所権現」と称していた。 | |
元城町 東照宮 もとしろちょう とうしょうぐう | 静岡県浜松市中区元城町111?2 | 曳馬城(引間城・引馬城)は、駿河守護の今川氏親が大永年間(1521〜27)に築いたといわれる。その後、今川氏の属将であった飯尾氏の居城となっていたが、永禄 3年(1560)、今川義元が桶狭間合戦で討死すると今川氏の勢力は急速に衰退し、家康公も今川氏から独立、織田信長と同盟を結んで今川氏と敵対することとなった。家康公は今川方の弱体化を目論んで、その切り崩しを謀り、曳馬城主であった飯尾豊前守乗竜(連竜)にも徳川方に味方するように要請をした。これに対して曳馬城内は今川派と徳川派に分裂、義元の跡を継いだ今川氏真は乗竜が徳川方についたと判断、曳馬城を攻めるが、氏真は曳馬城を落とすことはできず、和睦したのちに乗竜を駿府へと呼び出して、そこで暗殺した。乗竜亡き後、嫡男の義広はまだ幼く、代わりにその母である於田鶴(おたづ)の方が城主となるが、永禄11年(1568)12月、三河から遠江に侵入した家康公が今川方の拠点であった曳馬城を攻め、壮絶な戦いの末に曳馬城は落城し、於田鶴の方も侍女18人と討死したという。家康公はこの城に入城後、城地を拡大して浜松城を構築した。以後、曳馬城跡地は米蔵などに利用されていた | ||
浜松八幡宮 はちまんぐう | 静岡県浜松市中区八幡町2 | 徳川家康公が祈願所とし、武運長久を祈ったと伝えられています。 武田信玄との戦い(三方原合戦)に敗れ武田軍に追われた際、洞穴に潜んだと言われる境内の御神木「雲立の楠」は、その時、瑞雲が立ち上ったとの故事により称されるようになりました |
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井伊谷 二宮神社 にのみや | 式内社・村社 | 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷 | 井伊郷を納めていた三宅氏が、その祖神である多道間守を祀った神社 | |
渭伊神社 いい | 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150 | 井水を祭祀対象とした神社で、やがて井伊氏の発祥とともに氏神となります。天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡ともよばれる古墳時代の祭場。高さ約20mの円錐形をなす小丘陵の頂上に、40m四方にわたって数十個の巨石が群在しています。 | ||
蜂前神社 はちさき | 静岡県浜松市北区細江町中川6915 | 井伊直虎「花押」が記された唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」(浜松市指定文化財)は現在浜松市博物館にて保管されています | ||
針綱神社 はりつな | 愛知県犬山市犬山北古券65?1 | 犬山城の守護神でもあり、三光稲荷神社と同じく犬山城の南の登城入り口近くにある。また犬山祭は、針綱神社の祭礼である。 | ||
伊賀 八幡宮 はちまんぐう | 県社 | 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86 | 文明2年(1470年)松平氏4代親忠が松平氏の氏神として創建した。天下人となった徳川家康により社殿の改築が行われた。更に三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた | |
岡崎 六所神社 ろくしょ | 県社 | 愛知県岡崎市明大寺町字耳取44 | お見事 本殿・幣殿・拝殿・神供所・楼門は国指定の重要文化財 | |
平泉寺白山神社 へいせんじ | 県社 | 福井県勝山市平泉寺町平泉寺56-63 | 養老元年(717年)、泰澄によって開かれたという。中世以降比叡山延暦寺の勢力下に入り、霊応山平泉寺として知られるようになる。白山信仰の越前側の禅定道の拠点(越前馬場)として、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した | |
千代保稲荷神社 ちよぼいなり | 岐阜県海津市平田町三郷1980 | 京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷とともに、日本三大稲荷の一つともいわれることもある。地元の岐阜県西濃地方など中京地方ではお千代保稲荷と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」として親しまれている。 | ||
関 春日神社 かすが | 岐阜県関市南春日町1?1 | 関鍛冶の守護神 | ||
松阪神社 まつざか | 式内社 郷社 | 三重県松阪市殿町1445 | 城の鎮守神で代々松阪城址である蒲生氏が信仰してきた神社です | |
本居宣長ノ宮 もとおり のりなが | 三重県松阪市殿町1533?2 | 本居宣長は松阪が生んだ江戸期を代表する国学者です。著作「古事記伝」は宣長が三十五年かけて完成させた古事記の注釈書で、国学者の研究成果では最高峰とされています | ||
竹神社 たけ | 式内社 | 三重県多気郡明和町斎宮2757?2 | 斎宮には第38代天智天皇のころより660年間、天皇に代って伊勢神宮に仕えた斎王がおられたが、斎王が住んでいた内院が当社の境内地に所在したのではないかといわれている | |
神倉神社 かみくら | 村社 | 和歌山県新宮市神倉1丁目13−8 | 熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部 とにかく凄い急な石階段と大岩を御覧あれ |
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闘鶏神社 とうけい | 県社・別表神社 | 和歌山県田辺市湊655 | 通称「権現さん」と呼ばれ、御祭神の中には、熊野三山も勧請されている 武蔵坊弁慶とも関連が深い | |
和歌浦天満宮 わかうらてんまんぐう | 和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目1?24 | 和歌浦天神山(標高約93m)の中腹に位置し、菅原道真を祀り、和歌浦一円の氏神として尊崇されている。急な階段が凄い | ||
紀州東照宮 きしゅうとうしょうぐう | 県社 | 和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目1?20 | 紀州初代藩主であり、徳川家康の第10子徳川頼宣が父家康を祀るために1621年(元和7年)に創建した権現造の神社。日光東照宮と同様、絢爛豪華な社殿内には左甚五郎作の緋鯉真鯉の彫刻や狩野探幽の襖絵があります | |
玉津島神社 たまつしま | 国史見在社・村社 | 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26 | 玉津島神社は古来より、和歌の神様を祀る神社として天皇や貴族、歌人たちに崇拝されてきました | |
鹽竃神社 しおがま | 和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-25 | 岩の割れ目の中にある神社です。安産の守護として、人々に親しまれている | ||
由岐神社 ゆき | 京都府京都市左京区鞍馬本町1073 | 鞍馬寺の鎮守社であり通称靫明神。 大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る 拝殿は豊臣秀頼が再建したもので国の重要文化財 大杉も立派だ |
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岡崎神社 おかざき | 郷社 | 京都府京都市左京区岡崎東天王町51 | 別名「東天王」とも言われ、 かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる | |
大原神社 おおばら | 京都府福知山市三和町大原191?1 | 852年創建と伝わり、主に安産祈願の神様として知られる神社。京都府有形民俗文化財 拝殿の見事な彫刻をご覧あれ | ||
元伊勢外宮豊受大神社 もといせげくう | 府社 | 京都府福知山市大江町天田内60 | 豊受姫命は、雄略天皇の時に丹波国から遷宮して伊勢神宮外宮に祀られたとされる。当社はその元伊勢伝承地の1つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。 | |
元伊勢内宮皇大神社 もといせないくう | 府社 | 京都府福知山市大江町内宮217 | 現在伊勢神宮の祭神である天照大御神は、古くは宮中に祀られていた。この状態を畏怖した天皇の命で、崇神天皇6年から鎮座地を求めて各地を転々とした。垂仁天皇25年最終的に伊勢に落ち着くが、それまでの間に訪れた一時遷座地は、各地で元伊勢として語り継がれた | |
天の岩戸神社 あまのいわど | 京都府福知山市大江町佛性寺 | 元伊勢内宮皇大神社の奥宮 天照大神がこもったといわれる聖地 | ||
眞名井神社 まない | 京都府宮津市字大垣小字諸岡 | 丹後国一宮 籠神社の奥宮 パワースポットを超えた「聖地」 | ||
日出神社 ひで | 式内社・村社 | 京都府相楽郡精華町大字柘榴小字向井109 | 但馬神話で出石を中心とする但馬地方を治めた天日槍の四世「多遅摩比多訶」を祭神とする | |
御香宮神社 ごごうのみや | 式内社・府社 | 京都府京都市伏見区御香宮門前町174 | 伏見地区の産土神で、神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀る | |
城南宮 じょうなんぐう | 式内社・府社 | 京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7 | 都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています | |
藤森神社 ふじのもり | 府社 | 京都府京都市伏見区深草鳥居崎町609 | 6月から7月にかけて紫陽花苑が公開され、3,500株にもおよぶ紫陽花が見もの | |
新熊野神社 いまくまの | 京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42 | 永暦元年(1160年)、後白河法皇によって創建された神社。伊弉諾尊(いざなきのみこと、伊邪那岐命とも表記)を主祭神とする | ||
日向大神宮 ひむかい | 式内社・村社 | 京都市山科区日ノ岡一切経谷町29 | 内宮(上ノ本宮)・外宮(下ノ本宮)の2つの本殿があり、内宮に天照大神・多紀理毘賣命・市寸島比賣命・多岐都比賣命、外宮に天津彦火瓊々杵尊・天之御中主神を祀る。 | |
熊野若王子神社 くまのにゃくおうじ | 京都府京都市左京区若王子町2 | 永暦元年(1160)後白河法皇が、熊野権を勧請して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称「若一王子」に因んでこのように名付けられた | ||
九所明神 くしょ | 京都府京都市右京区御室大内33 | 仁和寺を守護する社で本殿・左殿・右殿の三棟からなり、本殿には八幡三神、左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷、右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の九座の明神を祀る | ||
宇太水分神社 うだみくまり | 奈良県宇陀市菟田野古市場241 | 宇太水分神社の創起は、第10代崇神天皇7年2月と伝えられ、鎌倉時代末期の1320年(元応2年)2月に造営された社殿は、春日造り桧皮葺で、国宝に指定されている 美しい | ||
吉水神社 よしみず | 村社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山579 | 後醍醐天皇のほか、源義経や豊臣秀吉ゆかりの地でもあり、多くの文化財が所蔵されている。世界遺産の一部 | |
吉野 水分神社 みくまり | 式内社(大)・村社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山1612 | 大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。世界遺産の一部 | |
金峯神社 きんぶ | 式内社(名神大)・郷社 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山1651 | 吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭る。 | |
樫尾 十二社神社 じゅうにしゃ | 奈良県吉野郡吉野町樫尾字下垣内124 | 石垣と石灯篭が立派な神社(正徳五年(1715)・寛政九年(1799)同十三年(1801)・弘化三年等作の灯篭) | ||
桜木神社 さくらぎ | 奈良県吉野郡吉野町大字喜佐谷423 | 万葉集でも多く歌われている象(きさ)の小川(喜佐谷川)の畔に鎮座する | ||
三尾神社 みお | 滋賀県大津市園城寺町251 | 三尾明神が太古、卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻、卯の方より出現されたという言い伝えにより 昔から「うさぎ」は神様のお使いとされている兎神社です | ||
太郎坊宮(阿賀神社) たろうぼう | 村社・別表神社 | 滋賀県東近江市小脇町2247 | 欽明天皇の時代、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建したときに霊験があって創建されたと伝える。後に伝教大師(最澄)が参篭し、社殿・社坊を献じたという。山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭した。その修験者の守護神とされたのが「太郎坊の天狗」で、現在も神社の守護神とされる | |
日牟禮八幡宮 ひむれ | 県社・別表神社 | 滋賀県近江八幡市宮内町257 | 伝承によれば、131年、成務天皇が高穴穂の宮に即位の時、武内宿禰に命じてこの地に大嶋大神を祀ったのが草創とされている | |
竹生島神社 ちくぶじま | 式内小社・旧県社 | 滋賀県長浜市早崎町 | 古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。南部に都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称 | |
白鬚神社 しらひげ | 旧県社 | 滋賀県高島市鵜川215 | 全国にある白鬚神社の総本社とされる。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。 | |
立木神社 たちき | 郷社 | 滋賀県草津市 4丁目1?3 | 滋賀県草津の旧東海道に面して鎮座し、交通安全・厄除けの神社として1200余年の歴史を有する、滋賀県随一の古社. | |
安居天満宮 やすい | 大阪府大阪市天王寺区逢阪1丁目3?24 | 大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之碑がある | ||
三光神社 さんこう | 大阪府大阪市天王寺区玉造本町14?90 | 鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいう。かつては大坂城の出城「真田丸」が置かれ、大坂の陣のときには真田信繁が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれ、社殿の下に残っている。 | ||
大阪 豊国神社 ほうこく | 大阪府大阪市中央区大阪城2?1 | 豊國神社(ほうこくじんじゃ)は、大阪城公園の中に作られた神社です。京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)の府社です。 | ||
堀越神社 ほりこし | 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1?8 | 大阪市天王寺区茶臼山町にある神社。 聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。 | ||
百舌鳥八幡宮 もず | 府社 | 大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町 | 神功皇后(じんぐうこうごう)が欽明天皇(537〜571)の時代、外征の帰途、この地において幾万代まで天下泰平を祈願されたことにより、当地を万代(もず)と称し、創建されたと伝えられています。 | |
科長神社 しなが | 式内社・郷社 | 大阪府南河内郡太子町山田3751 | 級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命(しながつひめのみこと)など8柱を祀るために、八社大明神とも呼ばれています | |
壷井八幡宮 つぼい | 大阪府羽曳野市壺井605 | 武家棟梁・河内源氏の氏神である。 八幡神として誉田別尊・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、玉織姫・武内宿禰を配祀する。 源義家が愛用したとされる黒韋威胴丸や天光丸の太刀などが伝わっている | ||
久々比神社 くくひ | 式内社 村社 | 兵庫県豊岡市下宮171 | 全国で唯一コウノトリにゆかりのある神社 | |
女代神社 めしろ | 式内社 村社 | 兵庫県豊岡市九日市上町460 | 女性守護の神様を祀っていて、安産祈願や七五三などで参拝する人が多い | |
酒垂神社 さかたる | 式内社 村社 | 兵庫県豊岡市法花寺 | 境内は同府京都市右京区高雄から紅葉を移植し、社前を流れる鎌谷川を高雄の清滝川に見立てており、紅葉の名所として知られている | |
天橋立神社 あまのはしだて | 京都府宮津市文珠天橋立643?1 | 天橋立の中にひっそりと佇む神社で、恋愛成就のパワースポットとして人気の場所 | ||
御形神社 みかた | 式内社 | 兵庫県宍粟市一宮町森添280 | 建立年代が明らかな中世神社建築の一例として重要で、1967年に国の重要文化財に指定されています。大杉も見事 | |
青玉神社 あおたま | 兵庫県多可郡多可町加美区鳥羽735 | 拝殿を拝むように立つ七本の杉は樹齢600年〜1000年という巨木で、県指定天然記念物です | ||
大石神社 おおいし | 県社・別表神社 | 兵庫県赤穂市上仮屋129 | 元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社 | |
岩楠神社 いわくす | 兵庫県淡路市岩屋字明神799 | 戎神社の背後には、高さ十数mの岩壁があり、そこに洞窟が二つ開いている。その一つに岩楠神社がお祭りされている。地元では、ここがイザナギノミコトの墓所だと伝えられている | ||
おのころ島神社 おのころしま | 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415 | 古事記・日本書紀によれば、神代の昔国土創世の時『伊弉諾命』『伊弉冉命』の二神により創られた日本発祥 - 国生みの聖地 - それが当地『自凝島神社』 | ||
河上神社・天満宮 かわかみ | 式内社・県社 | 兵庫県洲本市五色町鮎原南谷562 | 河上神社は創立年代不詳であるが延喜式神名帳に『淡路国津名郡河上神社』とあり古くは国幣にあずかり崇拝されてきた神社 | |
八王子神社 はちおうじ | 兵庫県洲本市 洲本城がある三熊山 | 洲本城跡の横に鎮座し、さざれ石の巨石を御神体とする。大永6年(1526)、安宅隠岐守治興が、洲本城を構築の際勧進。炬口の戎神社とともに洲本城の鎮守の神社 | ||
諭鶴羽神社 ゆずるは | 兵庫県南あわじ市灘黒岩472 | 山頂の南側約400mに鎮座する諭鶴羽神社は創建が開化天皇の治世と伝えられる古社 フィギュアスケートの羽生結弦選手も訪れており参拝者も多い。山奥です | ||
瀧神社 たき | 岡山県岡山県勝田郡奈義町豊沢 | 滝山(1197m)の中腹にあって「滝大領権現」または「お滝様」とも呼ばれていた。白鳳(白雉)年間に創建されたと伝えられ、奈良時代には修験者たちが修業するための聖地 やった感を感じる神社(滝)だ | ||
阿智神社 あち | 県社 | 岡山県倉敷市本町12-1 | 美観地区の一角にある鶴形山の山頂に鎮座する創祀1700年を超える古社。境内には日本一古い蓬莱様式の磐坐(いわくら)や日本一大きい曙藤「阿知の藤」等がある | |
牛窓神社 うしまど | 県社 | 岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓2147 | 名物の宮司さんに特別に祝詞をあげていただいた。立派な本殿です | |
和気神社 わけ | 県社 | 岡山県和気郡和気町藤野1385 | 岡山県和気郡和気町にある神社。 和気氏発祥の地、和気清麻呂生誕地にある和気氏の氏神。祭神は主神に鐸石別命、配神は弟彦王、和気清麻呂命、和気広虫姫命。佐波良命、伎波豆命、宿奈命、乎麻呂命が合祀されている 美しく整備されている神社でした | |
由加神社本宮 ゆが | 県社 | 岡山県倉敷市児島由加2852 | 日本三大権現の一つで、厄除けの総本山として知られている。磐座信仰(巨岩をご神体)として崇められ、その後、天平5年(733年)には行基菩薩が十一面観音を祀り、あわせて神仏混淆の霊山として崇拝されてきた。“ゆがさん・こんぴらさん両参り”が有名で、両宮をお参りすればご利益がたくさんいただけるという「両参り」の風習が広がり、全国津々浦々から参拝者が集まる 山登りを覚悟して行ってみよう | |
田倉牛神社 たくらうしがみしゃ | 岡山県備前市吉永町福満994−1 | 20万個とも30万個ともいわれる備前焼の牛の山が参拝者を迎える | ||
天津神社 あまつ | 岡山県備前市伊部629 | 備前焼ゆかりの神社として広く知られており、狛犬、参道、屋根瓦にいたるまですべて備前焼です | ||
甘露神社 かんろ | 鳥取県岩美郡岩美町陸上493 | 山陰本線の線路を渡り岩に囲まれた参道を上がっていく。まさに神の領域に迷い込んでしまったような空気が流れる | ||
賀露神社 かろ | 鳥取県鳥取市賀露町北1丁目21−3 | 歴史情緒あふれる港町と美しい日本海が一望できる丘陵上に鎮座する神社で、大山祗命、吉備真備公、猿田彦命、木花咲耶姫命、武甕槌命の五柱の御祭神が祀られています 鳥取三太鼓の一つがあります | ||
倉田八幡宮 くらた | 鳥取県鳥取市馬場299 | 境内には、樹齢1000年といわれる重量感豊かな大イチョウもあり、また、倉田八幡宮社叢全体は、タブノキの巨樹に富む社叢として、国の天然記念物に指定されています | ||
白兎神社 はくと | 村社 | 鳥取県鳥取市白兎592 | 大兎大明神あるいは兎の宮白兎大明神といわれ、神話「因幡の白うさぎ」の舞台であり、古事記や日本書記に記される由緒明らかな神社です | |
荒砂神社 あらすな | 村社 | 鳥取県岩美郡岩美町浦富 | 浦富海水浴場近く、砂浜脇の岩場の上にある神社で、境内裏からの海の眺めが美しい。創建は白鳳時代、戦国時代には山中鹿之助が鳥取城攻めの戦勝祈願をした。江戸時代に再建され、本殿にある五段の龍の見事な彫刻は、左甚五郎の高弟小倉円三郎によるもの | |
鷲峰神社 じゅうぼう | 鳥取県鳥取市鹿野町鷲峰1061 | 神社は鷲峰集落の上にあり、社伝によると前210(孝元天皇5)年八千戈神が白尾の大鷲に乗ってこの山に鎮座したことによって山を鷲峰山といい、神を鷲峰神と称するようになったといわれています。初めは山頂に鎮座していたが、782〜802年(延暦年中)御冠獄に初めて社を建てたが兵火にあい、後1317(文保元)年中尾崎に社をうつしました。(古宮といいます。)1572(元亀3)年毛利氏によって社殿が再興されたのですが、1604(慶長9)年亀井茲矩により焼き払われ、その子政矩によって1612(慶長17)年今の地に再興されました。川六作の狛犬でも有名ですよ | ||
諏訪神社 すわ | 鳥取県八頭郡智頭町智頭宿 | 諏訪神社は鳥取県八頭郡智頭町の智頭宿にある神社で、創建は鎌倉時代の弘安元年で、信州の諏訪大社の分霊を奉るため建てられた。江戸時代は鳥取藩主池田家の祈願所として栄えた。紅葉時に訪れてみてください | ||
吉川神社 よしかわ | 鳥取県八頭郡若桜町吉川269 | 立派な拝殿、彫刻の素敵な本殿を持つ地域の神社です。 | ||
若桜神社 わかさ | 郷社 | 鳥取県八頭郡若桜町若桜534 | 鬼ヶ城の初代城主矢部氏が創建したと伝えられる神社で、江戸時代には鳥取藩主池田の庇護を受けていました。1333年(元弘3年)には名和長年が鉾を奉納したというエピソードでも知られています 参道入り口付近の紅葉がきれいです |
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江嶋神社 えじま | 鳥取県八頭郡若桜町三倉429-8 | 縁結びパワースポット、若桜弁財天・江嶋神社 『草履を履いて本殿奥のご神体の巨岩をまわり、互いの草履に願いを書 いて奉納すると恋愛成就する』 八頭郡若桜町の江嶋神社で詠われる伝説です まさに神の領域です | ||
賀茂神社 かも | 郷社 | 鳥取県倉吉市葵町586 | 御祭神は賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)で、京都の上賀茂神社より勧請した神様。大自然を支配する神様で、災い除けにご利益があるとされている 中部地区で最も初詣参拝客の多い神社です | |
三朝神社 みささ | 鳥取県東伯郡三朝町三朝796 | 神社の手水所は常にラジウム温泉が湧いており、「神の湯」として親しまれています。三朝温泉ならではの神社です | ||
神埼神社 かんざき | 鳥取県東伯郡琴浦町大字赤碕1467 | 神ア(かんざき)神社の創建由緒は不明ですが、室町時代末期の創建とも言われています。地元では「荒神(こうじん)さん」の愛称で親しまれ、水産開運、牛馬の守護神として県内外から厚い信仰を集めています。拝殿向拝天井にケヤキ材の彫刻が施されており、建築というよりは工芸品といえるぐらい素晴らしいです | ||
国庁裏神社 こくちょううら | 鳥取県倉吉市国府 | 和銅2年(709)、当時の伯耆守金上元為が国司の主要神社巡拝の便を図るため、国庁の敷地内にあった当神社に、国中の主要神社を合わせ祀って祭祀を行ったとある。伯耆の国の国府裏に鎮座。歴史もあり隋神門や拝殿も立派です |
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方見神社 かたみ | 鳥取県東伯郡琴浦町上伊勢99 | 天照大御神(あまてらすおおみかみ)など十神を祀る。かつては天照皇大神宮、上伊勢大神宮などと呼ばれた。 神社の随神門には鎌倉期の作といわれる木造随身立像が安置されている | ||
赤猪岩神社 あかいいわ | 鳥取県西伯郡南部町寺内232 | 古事記編纂1300年 大国主(オオクニヌシ)死と再生の地 | ||
小原神社 おはら | 鳥取県西伯郡南部町 | 山間の水田の中にボツンとある小さな森がある。ここ数年その姿がネットで取り上げられている | ||
粟島神社 あわしま | 郷社 | 鳥取県米子市彦名町1404 | 人魚の肉を間違って食べてしまった娘が美しいまま800年間生きたという「八百比丘尼」の伝説が残っています | |
金持神社 かもち | 村社 | 鳥取県日野郡日野町金持74 | 金持神社は金運祈願・開運祈願で全国的に有名な神社です | |
神奈川神社 かながわ | 鳥取県日野郡江府町武庫925番 | 珍しい狛犬が迎えてくれます | ||
艮神社 うしとら | 広島県尾道市長江一丁目3-5 | 旧市内で最古の神社と言われています。境内の楠は樹齢900年と言われ、幹の周囲は約7m。天然記念物にも指定されています。またこの境内では映画「時をかける少女」や「ふたり」のロケが行われたのをはじめ、最近ではアニメ「かみちゅ!」の舞台としても登場しました | ||
熊野神社 くまの | 官弊大社採択 | 広島県庄原市西城町三坂886番 | 広大な神域の百株を越える巨杉郡叢は、森厳な古社の風致を構成し、内十一本の老杉は広島県天然記念物に指定。巨木の参道は巨木ファンにはたまらない | |
平濱八幡宮・武内神社 ひらはま たけうち | 県社・別表神社 | 島根県松江市八幡町303 | 創建年代は不詳であるが、天永2年(1111年)、陰陽寮で当社の遷宮の日時を占ったという記録があり、それ以前には創建されていたことになる。出雲国最古の八幡宮とされる | |
阿太加夜神社 あだかや | 島根県松江市東出雲町出雲郷587 | 意宇川のほとり芦高の地に,うっそうと茂る森の中に「有」の社紋をもつ大社造りの本殿が拝されます。松江の城山稲荷神社との間に行われる神行式「ホーランエンヤ」は日本三大船神事の1つとされ,有名です | ||
海津見神社龍王宮 わたつみ | 高知県浦戸 | 通称「桂浜の竜宮様、竜王宮」と親しまれ、海上安全、海中安全、さらに恋愛成就の神様として信仰されています | ||
大川上美良布神社 おおかわかみぶらふ | 式内小社・県社 | 高知県香美市香北町韮生野243 | 美良布の川上さまとして知られる名社。祭神は大田田根子命。延喜式内社。社殿は県指定文化財になっています。社殿の規模は大きく木割も堂々として落ち着きを感じさせ、屋根は幕末の造りにしては美しく優美といわれています。 現在の社殿は慶応元年(1865年)に起工し、明治二年(1869年)に落成したものです | |
櫛田神社 くしだ | 県社 | 福岡県福岡市博多区上川端町1?41 | 古くより博多の氏神・総鎮守として信仰を集めている神社である。7月の博多祇園山笠や10月の博多おくんちなどの祭事をおこなう。5月の博多松囃子(博多どんたく)は厳密には櫛田神社の祭事ではないものの、松囃子一行は櫛田神社から出発するしきたりになっている。旧社格は県社。地元の博多の人々からは「お櫛田さん」と愛称で呼ばれている | |
宇美八幡宮 うみ | 県社・別表神社 | 福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目 | 安産信仰の民俗資料として数々の県重要文化財指定が点在する子安の宮 二千年にわたって生命をつないできた国指定天然記念物の樟の巨木をはじめ三十余の大樟が栄えそびえる境内 |
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小倉 八坂神社 やさか | 県社 | 福岡県北九州市小倉北区城内2?2 | 約400年前の江戸時代初め、豊前の国の新しい領主として赴任した細川忠興公が眼病平癒の願いを込めて、豊前国の総鎮守として創建した |