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折りたたむ
紀伊半島南端にある紀伊大島の東側の海岸線は、50mはゆうにある断崖絶壁が続く景勝地となっています。特に樫野崎の東側にあるこの海金剛はその中でも秀逸な断崖です。日米修好記念館の脇から遊歩道を少し歩くと、鷹ノ巣圓地がありその東西に海金剛と裏金剛の絶景が広がります。
ここです http://goo.gl/maps/FC4cU
串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。
神倉神社は速玉大社から約15分。千穂ヶ峰の南に位置する神社。60mの絶壁の上に「ごとびき岩」と呼ばれる巨岩を神体岩として祀っている。この参道の石段は538段あり特に最初がはい上がるほどの急坂となっている。まあご覧あれ。
日本最初の石造灯台です。明治2年3月に着工 明治3年6月10日に点灯されました。
高さ33.9m 幅42mの日本一の大鳥居です。この鳥居は平成12年に建設され年末年始にはライトアップもされるようです。
神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。 続きを読む 折りたたむ ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
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ここです http://goo.gl/maps/W8FZh
熊野新宮大社から新宮市に向かう途中に撮影しました。深い水の色が素敵でした。
浦富 荒砂神社の横にある展望台の松がすばらしい。お見事!
絶景ではありませんが鳥取のらっきょう畑も美しいものです。
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