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福井県 丹生郡越前町織田に鎮座別名織田明神。気比神宮に次ぐ越前国二宮とされる。越前国の式内社
社伝によれば、御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞嗚尊の神霊を伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる
拝殿 中世以降、この地の歴代の領主、斯波氏、朝倉氏、織田氏の崇敬を受け保護された。特に織田信長は当社の神官の子孫であるとされ、織田家の氏神とされた。尾張織田家は故郷の名にちなんで織田と名乗ったのが始まりである。柴田勝家の書状にも「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」とある
本殿
福井県 敦賀市に鎮座。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社です。長い階段を上がって行きます。
織田信長が朝倉攻めの折り、信長の妹お市は、信長が浅井・朝倉両軍に挟まれ窮地に陥ったことを知らせるため、両方を紐で結んだ袋に小豆を入れ陣中に届けたそうです。それを察した信長は後に近江姉川にて浅井・朝倉軍を破ることができたそうです。
明治時代、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれ、いつしか金崎宮は「恋の宮」と呼ばれるようになりました。
福井県 敦賀市曙町に鎮座。式内社、越前国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社です。高さ約11mの大鳥居(重要文化財)は春日大社(奈良県)・厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つです。
昭和20年の「敦賀大空襲」ではこの大鳥居を残して、気比神宮は焼けてしまったそうです。現在の気比神宮は「昭和の大造営」により再建されたものです。
主祭神の伊奢沙別命(いざさわけのみこと)は御食津大神(みけつおおかみ)とも称される気比神宮にのみ祀られている神。謎の多い神ではありますが食物を司るとされていて、『古事記』にはここ敦賀から朝廷に海産物などの食物が奉られていたと記されているのです
拝殿内です
姫神社から少し上流の福井県 小浜市龍前に鎮座しています。
随神門 天保元年建築
おもむきのある本殿です。
本文なし
福井県 小浜市遠敷に鎮座。式内社、若狭国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。
上社・下社の2社からなり、上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という。別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれている
拝殿左に見える千年杉が存在感あります。幹周6.0m 樹高30m 樹齢500年とのこと。
若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。
立派な本殿です
大国主の再生神話の里は鳥取県 西伯郡南部町寺内に鎮座している赤猪岩神社とのこと。最近は神話ブームとなり観光バスも訪れるパワースポットとなっている。
兄神たちに騙されて、真っ赤に焼いた大岩に潰され命を落とした大国主(オオクニヌシ)が、それを悲しんだ母神とふたりの女神の力によって生き返ったとされる日本神話。それが、「大国主(オオクニヌシ)の再生神話」です。
神社の境内には、「大国主命が抱いて落命した」と言い伝えられている岩が祀られています。この岩は、地上にあってこの地を穢さないよう土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています。これは「厄の元凶」に対する注意を、子々孫々まで忘れてはならないことを教えています
大阪府 堺市北区百舌鳥赤畑町にある神社で(宗教法人名は百舌鳥神社。約一万坪の境内の中には大阪府の天然記念物に指定されている樹齢約800年の巨大なクスノキが茂る。
創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
本殿の前にある天然記念物の大クス。説明板によれば、幹周/5.2m、樹高/25m、樹齢/700〜800年とされています。
大阪府 堺市堺区北三国ヶ丘町2丁2-1にある神社。近郷では「ほうちがいさん」と称され、方違え、方災除けの神として知られる。
えーーー 平成二十五年に斎行された第六十二回神宮式年遷宮の古材の一部を、本殿造営のご用材として伊勢神宮より譲り受け、社殿の建替え中でした。
大阪府 堺市西区鳳北町にある神社です。式内社(名神大社)で和泉五社の1つで和泉国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
元来の祭神は大鳥連の祖神であるらしかったが、一時期天照大神が祭神とされるようになった。「和泉国大鳥五社大明神并府中惣社八幡宮縁起」によると本地仏は釈迦如来となっている。その後、日本武尊が祭神と考えられるようになり、これが定着した。これは大鳥神社の「大鳥」という名称と日本武尊の魂が「白鳥」となって飛び立ったという神話が結び付けられたために起こった習合であると考えられる。
本殿を望む
和歌山県 和歌山市和歌浦に鎮座する神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀る。
108段の階段「侍坂」
高台の南端には、楼門が南面し、その両脇に東西廻廊が建つ。高さ約2mの石垣により一段高くなった社地北側には、唐門と瑞垣(みずがき)、その奥には正面に拝殿・石の間・本殿を一つの建物にまとめた権現造りの社殿が建つ。かつては社殿の右に三重塔、左に薬師堂があった。
拝殿
唐門
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