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岐阜県 関市肥田瀬に鎮座。金幣社と明記されています。初めて聞くことなので調べてみます。
『岐阜県神社庁史』(岐阜県神社庁,1994 郷土:170.2/ギケ)を参照。例祭などで神社本庁から献幣されるとき、県神社庁長が参向する神社では金幣をもって奉幣行事が行われるため、氏子の間でこの称号が用いられるようになった。ようです。
本殿
関鍛冶の守護神で例祭には、古典芸能「童子夜行」が能舞台で奉納される
拝殿 鎌倉時代、大和から移住してきた鍛冶職たちによって春日大社の分霊を祀ったのが始まりと言われています
伊奈波神社は、岐阜県 岐阜市にある神社で、美濃国三宮で、旧社格は国幣小社。式内社で「美濃国厚見郡 物部神社」の論社
立派な楼門です。
拝殿も立派です。奥の本殿は見ることができないのが残念です。
楼門からの眺め。今日は良き日なのか結婚式がとりおこなわれています
岐阜県 海津市平田町にある稲荷神社。地元では「おちょぼさん」の愛称で親しまれている稲荷神社、「千代保稲荷」。日本三大稲荷の1つとも言われ、季節を問わず年間二百万人もの参拝者が訪れ賑わっています
観光バスが到着すると平日でも参拝者で賑わいます
千代保稲荷は、特に月末月初に参拝される方が多くなります。これは「今月もよく商いができまして、ありがとうございました。来月もよろしくお願いします。」と、商売繁盛のお礼参りをするためです。
御供えされた油揚げ ろうそく1本と油揚げが50円で販売されています
岐阜県 不破郡垂井町にある神社。旧称は南宮神社。式内社、美濃国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社国道から標識に従って曲がると突然現れた大鳥居
創設は神武天皇の時代にさかのぼる。古くは仲山金山彦神社といわれ、美濃国府が置かれていた府中(垂井町)に祀られていたとされる。現在地の二キロほどのところである
慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。そののち寛永19(1642)年、この地にゆかりの乳母・春日局らの願いを聞き入れた三代将軍、徳川家光によって再建された。現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された
舞楽を奉納する高舞殿
建築様式は、和様と唐様を混用した独特の様式であることから、南宮造と呼ばれている。本殿と弊殿だけは素木造りで、その他の社殿は鮮やかな朱塗りになっていることも特徴の一つと言える。社殿の軒回りは、すべて刳抜蟇股という社寺建築独特の装飾が施されている。その形が蟇の股の曲線に似ていることから蟇股と呼ばれる。中でも高舞殿の蟇股にある十二支の動物の丸彫りが特に名高い
本殿 三百六十年の時を経て、荘厳なたたずまいを見せている
祭神 関ヶ原の戦いで亡くなった将兵の御霊 この神社は慶長5年(1600年)9月15日、東軍の将、徳川家康と西軍の将、石田三成の軍15万余の将兵が運命をかけ関ヶ原一帯において展開された場であり、この地に屍をさらした将兵の御霊を鎮めるため昭和55年(1980年)に建立された
奈良県 生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社、二十二社の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。前回訪れた時は龍田大社と龍田神社を間違えてしまい、今回再び立ち寄りました。
鳥居扁額には「龍田本宮」と記されている。『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという
本殿は見えにくいです
徳島県 鳴門市大麻町板東にある神社で式内社、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社大鳥居と長い参道です。
境内は神々しい空気が流れます
大楠 樹齢1000年・幹周8.3m・樹高22mの堂々とした巨木です
落ち着いた拝殿です。
心願の鏡池 第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士 約千人が 大正6年から9年にかけて異郷の地 板東俘虜収容所に過ごした。ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた
ドイツ橋 第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の板東捕虜収容所に収容されていました。この間地元の住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水のドイツ文化が伝えられました。バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。
田村神社は、香川県 高松市一宮町にある神社。式内社、讃岐国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社大鳥居 昭和55年建立 約17メートルの威容を誇る
立派な拝殿です。御祭神は倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命 残念ながら本殿は隠れていて見ることができません。
田村神社境内(右隣り)にある宇都伎社。御祭神は大地主神、倉稲魂神
二度目の参拝となりました。と言っても一回目は20年以上前の話ですから初めてと同じことです。奥の院まで1365段の階段を上がっていきます。迫力のある総門です。
旭社 ここが本宮だと勘違いして帰る参拝者もあるとのこと。それぐらい立派な建築物です。「旭社」の扁額は、正二位綾小路有長の筆です。
賢木門 その昔は「逆木門」と言われていました。 天正年間(1573〜1592)、長曽我部元親は兵を起こして諸州を侵略し、多くの神社仏閣を焼き払っていました。元親は罪を謹み、門を献納することにしたのですが、建築を急ぐあまり、一本の柱を逆さまにつけてしまいました。それから、この門は「逆木門」と呼ばれるようになりました。 明治12年(1879)の改築の際に、「逆」の字を嫌い「賢木門」と書くようになりました。その時の柱は宝物館に保存されています。
本宮 今を距ること約1000年前の長保3年(1001)、藤原實秋が一條天皇の勅を奉じて改築したのに始まり、その後の元亀4年(1573)の改築、天正年間(1573〜1592)の長曽我部元親による再営を経て、万治2年(1659)の高松城主松平讃岐守ョ重之による改築に至り、明治11年(1878)の改築で現在の社殿ができました。
南渡殿 長さは約40メートルで、屋根は檜皮葺です。明治11年(1878)に建築
本宮の展望 ここからは瀬戸大橋や讃岐富士などを望むことができます。絶景です!
「奥社(おくしゃ / おくのやしろ)」は通称であり、正式な名称は「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」です。金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祭られています。奥社の海抜は421メートルです。表参道からの石段は全1368段です
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