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山崎町上寺の大歳神社境内にある藤は、兵庫県の指定文化財(天然記念物)に指定されており、天徳四年(960年)に植えたと伝えられています。幹回りが約3.8mもある大木から枝が四方に伸び、境内一面に広がる藤棚は約420平方mにも及びます。4月下旬からの花期には、1m〜1.4mの花房が垂れ下がり、境内を埋め尽くす様は壮観です。
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賀露神社の大太鼓のことを美保神社と名和神社に行ったときに知りぜひ見てみたいと訪れた。今は倉庫に入っており正月と祭りの時には披露されるとのことだ。
賀露神社には口径120cm、胴回り450cm、胴長150cmの大太鼓があります。これは、名和神社(鳥取県 大山町)、美保神社(島根県 美保関町)の大太鼓とともに、1本の大ケヤキから切り出された三大太鼓の1つで、山陰で3番目に大きな太鼓と言われています。なぜこのような大きな太鼓が賀露神社にあるのでしょうか。安政3年(1856)、八頭郡 八頭町(旧八東町)妻鹿野(めがの)滝川地区の山林から樹齢千年を越える1本の大ケヤキが切り出され、ここから3つの太鼓が作られました。ケヤキは乾燥させるため、2年間寝かされた後、同5年に八東町南村の沢田孫太夫・直十郎親子が願主となり、胴は日田村と高野村の大工が制作し、革張りは大坂と播磨の職人が行って完成させ、 鳥取城に献上されました
3つの大太鼓は藩士に登城の時刻を知らせる御用太鼓として打ち鳴らされ、当時、その音は30km先まで響き渡ったと言われています。その後、明治6年(1873)に払い下げられ、名和神社・美保神社・賀露神社に奉納されました。ちなみに一番大きな名和神社の大太鼓は口径140cm、2番目の美保神社の太鼓は口径130cmあります。平成6年(1994)9月には美保神社で120年ぶりに兄弟3太鼓が再会し、世界的太鼓奏者の林英哲(はやし えいてつ)氏によって演奏がなされました。その後、同8年には八東町の総合運動公園で、また翌9年には出雲ドームでも3大太鼓の競演が行われています。賀露神社の大太鼓は大正14年に当時の賀露村長であった宮崎才吉氏によって皮が張り替えられて現在に至っています。神社では氏子繁栄を願って毎年元旦の初神楽でこの大太鼓を打ち鳴らしており、賀露の氏子中の宝として大切に保存されています
バイクで走っていて立ち寄りました。なかなか神秘的な神社です。明治元年境内末社山ノ神、稲荷神を合祀し、社号を高路神社と改称す、降りて大正七年九月洪水の為に境内流失、建物を全部倒壊せるを以て、大正十年四月八日現地に建立す、尚口碑によれば曾て境内に若宮(祭神 天忍雲命)鎮座せられしが後本社に合祀せりとの説あり
甘露神社は鳥取県岩美郡岩美町陸上57に鎮座している。今回縁あって訪れることができた。神社に行くには東浜駅手前から踏切の無い山陰線を越えなければならない。
おー鳥取から列車がやってきた。気をつけて渡ってください
いきなりこんな道かいな。今日は地元の方々が草刈りをされていたのできれいになる予定のようです。
雰囲気のある神社です。もはや神の領域に入り込んで行っています。
大岩の前にはお地蔵さんでしょうか。岩の上には祠があります。
ここから苔の階段を上がっていきます。
岩と岩の間が神秘的です。冷たい冷気がひんやりとしています。
狛犬が社殿を守っています。後ろ側には小さなかわいい狛犬もいました。
到着です。すばらしい環境にあり風情豊かな神社です。ぜひまた訪れたい神社の一つですね。
ここです http://goo.gl/maps/PuzUN
鳥取砂丘の入口に位置する多鯰ヶ池と大島に鎮座する『多鯰ヶ池弁天宮』です。お種伝説が残る神秘の神社ですね。
多鯰ヶ池はいつ来ても神秘に包まれています。
鳥取市気高町上光969に鎮座している。一度立ち寄ってみようと思っていた神社である。なかなかの杉もあり狛犬も歴史を感じるものであった。
拝殿
弘仁二年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まる。 寛治四年(1090)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、当社を守護神として祟められ別当職を置いて管理した。平安末期後白河法皇は度々熊野詣を行われたが、当社にも厚く尊信をよせられた。応仁の乱により社殿は焼失したが、寛文六年(1666)聖護院宮道寛法親王 は、 令旨を下し再興され、その境域は鴨川に至る広大なものであった。その後、天保六年(1835)にも大修造が行われた。現在の本殿は、この時、賀茂御祖神社(下鴨神社)から移築された代表的な流れ造りである
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