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奈良県の吉野郡 東吉野村鎮座している。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社です。四郷川、高見川、日裏川[ひうらがわ]の合流点に鎮座する水の神様。675年(天武4)、降雨、止雨を祈願する社として創建された。本殿は三間社流造、檜皮葺きです。
神武天皇が、戦勝祈願した地という伝承や天武朝以降、たびたび行われた吉野行幸の離宮後地説もあります
拝殿から本殿へと続く廊下
本殿
当社地には式内川上鹿塩神社と大倉神社が鎮座していました前社は五社峠の地へ、後社は南国栖の深山へ遷座し、現在は両社とも元社地で祭祀されています。
境内に建立されている石灯篭は、正徳5年(1715)・寛政9年(1799)同13年(1801)・弘化3年(1846)・明治27年(1894)また御大典記念として、昭和3年(1928)にそれぞれ一対づつ、更に明治27年(1894)には狛犬一対を寄進せられています
万葉の香り高い象(きさ)の小川のほとりに鎮まるこの神社は、大己貴命・少彦名命、それに天武天皇をお祀りしています
天武天皇がまだ大海人皇子といわれていたころ、天智天皇の近江の都を去って吉野に身を隠しましたが、あるとき天皇の子、大友皇子の兵に攻められ、かたわらの大きな桜の木に身をひそめて、危うく難を逃れたいう伝説があります。のち大海人皇子は勝利を得て(壬申の乱 六七二)、明日香の浄見原に都を定めて、天武天皇となられたのです。このあと吉野の宮(宮滝)に行幸されると、篤くこの宮を敬われ、天皇なきあとは、ゆかり深い桜木神社へお祀りしたと伝えられています
拝殿及び本殿
見事な本殿です。
井光の井戸の看板が目に入ったので立ち寄ってみました。創祀年代など不明です。吉野山の吉野水分神社から分祀されたと伝えられています。石鳥居の「水分大明神」神額は宝暦3年(1753)のものです。
神武天皇所縁の井光の井戸伝承地です。飯貝(いいがい)の地名はこの井戸に因んだものと考えられるという。また、「井光の井戸」伝承地は、飯貝の他には吉野山善福寺裏の谷と、川上村の井光(いかり, 旧碇村)にあるという。井戸というより湧水!
拝殿 寛延4年(1751)の湯釜や安永5年(1776)の銅製釣灯篭があります。
吉野郡の下市町 長谷に鎮座 式内社(名神大社)及び二十二社(下八社)の論社で旧社格は官幣大社です。現在は神社本庁の別表神社。飛鳥時代に創建されたとされる歴史ある神社だが、「縁がなければたどり着けない場所」「神様に呼ばれた人が行くところ」と言い伝えられている。
天武天皇の白鳳四年(676年)に「人の声の聞こえない奥深い山に神の宿る柱を立て、祀れば、雨をよく司る」と信託を受け、創立されたといわれています。
天平宝字7年(763年)に、黒毛の馬を献上して以来、雨乞いには黒馬、晴れを乞うときには白馬を献上するようになり、水の神として朝廷から厚く保護され、祈雨祈晴はいうに及ばず、たびたびの奉幣が行われたとされています。
金峯神社は吉野郡の吉野町にある神社です。吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祭り、歴史も古く式内社で、旧社格は郷社です。 境内はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部となっています。
吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)が祭神。修験道の行場で藤原道長も祈願したとされています。
境内から坂道を3分ほど下ると、義経が弁慶らと追っ手から逃れるために隠れた義経隠れ塔があります。
式内社で、旧社格は村社。 葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきました。
社殿は慶長9年(1604)、この社の霊験によって誕生したとされる豊臣秀頼によって再建されたもの。建物は桃山時代の美しい特色を今に伝えており、三殿一棟造りの本殿(重要文化財)、拝殿(重要文化財)、幣殿(重要文化財)、楼門(重要文化財)、回廊(重要文化財)からなる。
社宝として、非公開ではあるが鎌倉時代作の木造玉依姫命坐像(国宝)がある。春にシダレザクラ、初夏にスズランが美しいとのこと。
勝手神社 吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にあります。しかし社殿が無いではありませんか。実は社殿は2001(平成13)年に焼失してしまいました。
境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。また、後方の袖振山は、大海人皇子(のちの天武天皇)が社前で琴をかなでられたとき、天女が袖をひるがえして舞ったという伝説で知られています。
再建のための寄付金のお願いです。
吉水神社は、奈良県の吉野郡 吉野町にある神社で、旧社格は村社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つとなっている。もとは金峯山寺の僧坊・吉水院だったが、明治維新の神仏分離により、神社となった。
吉水神社の書院には南朝の古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器など、100点を超える宝物が残っています。また、初期書院造りの傑作といわれる書院建築で、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間があります。うち、義経の間が室町時代様式で、他は桃山時代以降のもの。ただ今修復工事中
「桜の図」は、桃山時代前期の狩野永徳の作品その他 源義経・弁慶・豊臣秀吉・御醍醐天皇等々のゆかりの物品が多く展示してあります。凄いの一言!
奈良県の吉野郡 吉野町に鎮座後醍醐天皇を祭神とする神社。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣大社である。旧社名 吉野宮 明治22年(1889)、明治天皇により創建される
切妻造の形式の神門
拝殿
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