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神祭 建御雷神 建御雷神は天照大御神の命を受け天降り大国主大神と国譲りの交渉に当られた神です。出雲大社の境外摂社で稲佐の浜の近くに鎮座しています。鳥居を潜り、境内に入ったら一言も喋らずにお参りをすると願い事が叶うといわれています。
建御雷神は天照大御神の命を受け天降り大国主大神と国譲りの交渉に当られた神です
屏風岩 この岩陰で国譲りの話し合いがされたとされてます。因佐神社の手前にあります。
伯耆の国庁跡地の裏側に位置しています。まさに名前のとおりです。創祀年代は不詳で、貞観十五年、従五位下を叙された古社です。
拝殿 社叢が市の保存指定を受けています
本殿
倉吉には同名の神社が二つあります。一つは伯耆の国一宮でもう一つが今回紹介する倭文神社です。この倭文神社も伯耆の国の式内社で三ノ宮でもありました。
祭神 經津主神、武葉槌神、下照姫命、伊弉諾命 、伊弉冉命、 譽田別命、国狭槌尊
なかなか立派な本殿です。彫刻もすばらしい。
鳥取県の赤崎町に鎮座している神崎神社です。屋根のふき替え工事及び龍の目が金色になったと聞き、参拝するすることにしました。
注連縄も11年ぶりに交換されたと聞きます
神功皇后の子(後の応神天皇)を抱く武内宿禰
神功皇后が掘られています。
拝殿の天井をご覧あれ
屋根のふき替え美しくなった本殿です。
宮司さんに本殿(外観)を案内していただきました。言葉では表現できません。
本文なし
旧姫路藩主酒井氏の祖・酒井正親が祭神で、明治12年に創建された神社。重要文化財の太刀などがあります。また、境内には名家老であったといわれる河合隼之介を祀る寸翁神社があります
拝殿
貞和元年(1345)、赤松貞範が姫路城を築くときに男山の山頂に創祀し、城の鎮守社としたと言われています。延宝7年(1679)には松平直矩が、正徳6年(1716)には榊原政邦がそれぞれ社殿を改修したという記録が残っており、歴代の姫路城主が信仰したと言われています
男山八幡宮から少し急な階段を上がったところが頂上の男山配水池公園です。ここから見る姫路城は絶景です。高さも目線と同じです。ご覧あれ!
姫路城の北西に位置し、姫路城を一望する男山の中腹にある小さな社で、本多忠刻と再婚した千姫が、本多家の繁栄を願って建立し、西の丸長局の廊下から朝夕遙拝したと言われています。城内から、遙拝できるよう東向きに造営されています
平成14年4月に社殿が新築され、唐破風造りの流麗優美な姿に生まれ変わりました
全国に護國神社は五十二社ありますが、祖先や共同体に尽くした人々を神として祀り同時にその神様は子孫やその共同体を守ってくださるという古来日本人の宗教観、祖先感に根ざした伝統的習俗の基礎の上に明治の御世になって建立されました
拝殿 とにかく美しく整備されている境内です。
奈良県の吉野郡には丹生川上神社という社名の神社が3つも存在している。本来は1つの神社しか存在しなかったはずだが、明治時代になって、歴史的な経緯を参考にして、上社・中社・下社の3つの丹生川上神社が誕生している。いずれの神社も、主祭神として水の神を祀る。3社ともかっての官幣大社であり、戦前は3社で1つの神社としていた。戦後はそれぞれが分離独立し、独立宗教法人格を取得している。
旧境内は、大滝ダム建設のために水没している。新境内は平成10年に建立されたそうです。もともとは他の神社と同様、清流のそばに社殿があったそうです
この御神木の樹齢は約600年といわれています。旧神社境内には、このような杉の木が6本、檜の木が3本、榧の木が2本、その他、楠、榊、椿の木等が林立していたとのこと。なお、檜の木は伊勢神宮内宮から拝戴の古材と共に新神殿の用材として使用されたといわれています。
本殿 丹生川上神社上社は、道の駅・杉の湯 川上(すぎのゆ かわかみ)のすぐ近くにあります。「日本書紀」に記載される日本最古の水神祭祀発祥の神社のひとつです
大和国吉野郡十座の一つとして延喜式内の名神大社に列せられている神社です。
吉野川北岸の見事な神奈備山の麓に鎮座。この山は妹山(いもやま)とよばれている。正一位という極位を授けられたのは、わずかに大名持神社と河内国 枚岡神社のみであり、伊勢神宮・宇佐八幡は別にして、山城国の上賀茂・下賀茂の神 、鹿島・香取春日の諸神に次ぐ神階を授かった極めて神徳崇高な社です
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