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伊勢神宮のある伊勢市の西部を流れる宮川の河口から約40km上流の、宮川支流大内山川が流れる度会郡大紀町(旧大宮町)滝原にある。内宮(皇大神宮)の別宮です。
宮域には瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の2つの別宮のほか、瀧原宮所管社が3社がある。所管社の若宮(わかみや)神社には神体を入れる御船代を納める御船倉(みふなぐら)が併設されているが、御船倉を持つ別宮は瀧原宮のみである
倭姫命世記によると、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流大内山川の流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てたが、その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となったとされる。神宮ではこの説を採るが、一般には伝説上の話であり、起源は明らかでないと考えられている。
804年(延暦23年)の皇太神宮儀式帳及び927年(延長5年)の延喜太神宮式には、天照大神の遙宮(とおのみや)と記述されており、それ以前からあったと考えられている。皇太神宮儀式帳では瀧原宮1院1号で、延喜太神宮式では別号とされているため、創建当初は瀧原竝宮は瀧原宮に含まれ、804年から927年の間に独立したと考えられている。
両別宮ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)。瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られるとされる。
伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。土地の神が倭姫命を助けたことから、倭姫命が定め祀った神社である。内宮の摂社27社のうち、第27位三重県 度会郡 大紀町三瀬川字久保海道に鎮座
祭神は、真奈胡神(まなごのかみ、まなこのかみ)。倭姫命が急流を渡れずに困っていたところを真奈胡神が助けたとされる
伊勢の海の玄関口として栄えた三重県 伊勢市 神社港(かみやしろこう)に鎮座している。伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社で、外宮の摂社16社のうち第15位
境内は池と堀で囲まれておりこの堀は、海水の出入りした入り江の名残とされる。祭神は、水戸御饗都神(みなとのみけつかみ)。神社港で揚がった海産物を伊勢神宮に調進する御饌の神である。「水戸」は海水の入り込む「港」を意味する
河原淵神社は伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社で三重県 伊勢市 船江に鎮座する船江上社の社地に鎮座している。祭神は澤姫命(さわひめのみこと)。水の守護神とされる
外宮の摂社16社のうち第12位
三重県 伊勢市 辻久留一丁目に鎮座する上社(地域の氏神)と同じ社地に3社が鎮座している。
志等美神社(しとみじんじゃ)は、伊勢神宮豊受大神宮(外宮)の摂社外宮摂社の大河内神社(おおこうちじんじゃ)、
外宮末社の打懸神社(うちかけじんじゃ)
伊勢神宮の内宮摂社の鴨神社に参拝しました。この鴨神社は伊勢神宮125社ある中でも最も難所と言われています。この難所に1月1日にお参りできるのも何かの縁を感じます。ただ軽い気持ちでサンダル履きで来てしまい川登り的な個所もあり後悔しましたが・・・。登山ルートもいろいろあるようですが前を歩いている御夫婦(後でわかったのですが宮司さん)の後ろをついて歩くことにしました。
とにかく急な上り坂が延々と続きます。看板等の表示も無く不安になってきます。ただ舗装してあるのが救いです。
やっと掲示がでてきました。これで安心安心!!
ここまで来たら行くしかないです。
おーー千木が見えてきました。感動です。
祭神 石己呂和居命(いしころわけのみこと)御前神(みまえのかみ) 旧社格は式内社です。御正宮、別宮の遷宮は、20年毎に行われますが、摂社、末社および所管社の遷宮は、40年に一度だそうです。
三重県 伊勢市 豊川町に鎮座。伊勢神宮外宮・勾玉(まがたま)池のほとりにひっそりたたずむ神社「茜社(あこねやしろ)」。商売繁盛の神・豊川茜稲荷には旗や幟がはためき、キツネの置物も所狭しと並んで、信仰の厚さを物語っている
境内には豊川茜稲荷神社と天神社があります。
三重県 伊勢市 二見町江にある神社です。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる
夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。宝暦年間に発生した地震により、海中に沈んでいるため、肉眼で見る事は出来ないが、1960年のチリ地震による津波で水が引いた際に一時的に姿を現した。石の大きさは東西216m×南北108mである
北畠神社(きたばたけじんじゃ)は、三重県 津市 美杉町上多気にある神社。国の史跡「多気北畠氏城館跡」に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。旧社格は別格官幣社・別表神社です。
由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20年(1643年)3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という
水を司る龍神を祀る『室生龍穴神社』。神さびた境内地のさらに奥には、巨大な岩山の洞穴に龍神が棲むとされる「吉祥龍穴」があります。古くから雨乞いの儀式が行われてきた聖地
創建年代は不明ですが、「日本紀略」には、8世紀、皇太子だった桓武天皇の病気平癒を願い、室生の龍穴で祈祷が行われた記録があり、これが本殿のさらに山奥にある「吉祥龍穴」ではないかと考えられています
本殿
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